マネジメント 2017/06/05

2種類の人が存在する



FROM:ロイス・クルーガー

今日も引き続き、人間の向上・成長における4つのフォーカスエリアのうち社会・情緒の領域についてお話ししたいと思います。コヴィー博士が社交的な人だったかと言えば、そうだと自信を持って答えるのは難しいです。

色々と大変なこともありました。とても有名になってしまったので、色々おかしなことを博士にしてくる人も出てきました。少し心地悪かったみたいです。博士を祭壇に祭り上げるかのごとく崇拝したりする人もいましたが、博士はそういうのは好きではありませんでした。

なので、仕事上、どうしても社交の場に出なければいけなかった時は、少しだけ顔を出して帰る、という感じでした。
優しい人だったので、欠席まではしなくても、彼を祭り上げて集まってくる人たちの中にいるのはあまり好きではなかったようです。

私はこれを「謙虚さ」だと感じます。博士が帰ってしまうと、今度は私が博士に代わって社交をしなければいけないんですけれど。博士は家では、これ以上いないくらい最高の人でした。博士のことを理解する人達といる時は、本当に素晴らしい時間を過ごしていました。

さて、私自身は様々な社交の場でどのように行動しているか、考えてみました。自分の行動の理由を分かっているだろうか?社会・情緒・社交における私の根本的な態度はどのようなものだろうか?と。そこで気づいたのは、私は長年にわたって「自分は社交が得意ではない」と自分に制限をかけていたことに気づきました。

でも本当は、もし私が欲すれば、得意になれるのです。私の父親は、とてもユーモアのセンスがある人でした。社交の場ではいつも笑っていました。今でも父の笑い声が頭の中でまわっているほどです。父は人といるのが大好きだったんですね。私は、人を観察していて、人には2種類あると感じるようになりました。

利己的な人と、そうではない人です。

人に与え、仕え、思いやりを持ち、他人を進んで助ける人は、助けを必要としているか尋ねるまでもなく、とにかく進んで助けに行くのです。ただ行動するのです。この人達には傲慢さがない、というか周りの人は自分よりも頭が良いと思っていたりしますが、実際は、持っている才能を使って周りの人を沢山助けています。私たちは誰もがそれぞれ異なる才能を持っています。才能は育むこともできますし、もともと授かったものであることもあります。

もしかしたら、既に遺伝子の中に組み込まれていて、私達の役目はそれを発見することかもしれません。例えば、私は他の人よりも背が高かったです。今はそうではなくなってしまいましたが、あの時代、そして私が若かった時は、背が高いほうだったのです。背が高いことで出来ることを楽しんでいましたよ。

そして今思い返してみると、私が一番幸せだったのは、誰か他の人の助けとなった時でした。そのような他人に対する奉仕は何年も何十年も続けることができます。マザー・テレサのことを考えてみてください。どれほど大きな奉仕をしたでしょうか。そして、どれほど幸せでしょうか。とても困難な状況にいたとしても、幸せに生きた人だったと思います。

ですから、私達もそのような態度で臨めるはずですよね。態度とは、私達が習慣的に世界をどのように見ているか反映したものです。私達は、次のような態度を育むことができます。謙虚さ、奉仕、思いやり。社会・社交的にも、情緒的にも自分を強くすることができます。

誰かに奉仕するためには、敏感にならなければいけませんよね。相手の声に耳を傾け、ニーズを理解する必要があります。そうすれば、大きな叡智を得ることができるでしょう。ぜひ、奉仕の精神を伴う態度を育んでほしいと思います。そうすることで、あなた自身が社会・情緒的な強さやエネルギーに満たされることを感じてください。

ありがとうございました。

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