人生とは予測不可能なもの
今日は葬儀に出席するために、予定を調整しなければならなかった。
SWと私の関係性は友人の友人という、知人と友人の間くらいのものであった。私たちは一緒に時間を過ごすことはあっても、二人きりで会うことはなかった。でも、バスケットボールの試合では隣同士に座って応援したし、同じディナーパーティーに出席したりもした。KFFと私は、彼の息子のバルミツワー(ユダヤ教の成人式)にも招待されたのだ。
彼はいい男だった。誠実な夫であり、良き2人の息子の父親であり、テレビ番組の「陽気なネルソン」を現実にしたような人物だ。私の知っている限り、SWは決して人の悪口は言わなかったし、ひどく酔っ払って醜態を晒したり、顧客やビジネスパートナーを騙したりもしなかった。彼はワインを嗜み、時折葉巻を吸ったが、何かをやりすぎるということはない。彼はサラダにドレッシングをかけることさえしなかったのだ。
SWは数多く存在するやりすぎる人々の間において、分別のある生き方の模範であった。それでいながら、「誰が若くして死ぬか」というくじでは、貧乏くじを引いてしまった。
私はこの世界には何らかのバランスがあると信じているが、そのスケールは大きすぎて目で見ることはできない。そして、私たちがそれに重きを置けば、そのようなことは数えられないほどあるのだ。
彼の訃報を受け取って以来、私はこの良き人物の死を嘆こうとしてきた。しかしながら、私はこうして淡々と仕事をしている。
SWは従来の意味で並外れた人ではなかった。彼はダイナミックな性格でもハンサムでもないし、良い暮らしはしていたが、大金持ちでもない。彼は人に好かれていたが、賞賛されるほどでもなかった。彼は自分の生まれ持ったものを(聡明さ、仕事の能力、直感的な謙虚さ)をひたむきに用いた人物だったのだ。
彼こそ長生きして静かな人生を送るだろうと、誰もが想像するような人であった。
しかし、1年前に彼は肝臓がんと診断された。そして、昨日死んでしまったのだ。半年もの間、彼は信ぴょう性に欠ける方法を次から次へと試して病と戦った。やがて、夏が終わる頃には戦うことを諦め、家族に引き取られることになった。
彼はバスケットボールの試合に来なくなった。また、一度だけディナーパーティーに参加したが、彼はほとんどの間1人だった。そして、友人たちと共に席に着き、礼儀正しく微笑んで形だけの会話をし、失礼のないよう最低限のことだけをこなして時間を過ごしていたのだ。
私は彼の存在が心配だったが、それと同時に非常に私的な質問をしたいと感じていた。もう長くはないことが分かりきっている中で生きるというのは、どういう感じなのか?信じることに何か安らぎを見いだせるのか?この最期の暗い期間の中で、死を否定することができるのか?
私は自分が彼の状況を残念に思っていること、これがいかに残酷で不公平かということを伝えたかった。しかし、私にできたことといえば、月の光が差す池と裏庭を眺める彼の隣に座り、そっと彼の肩に自分の手を置くということだけだった。
何人かの彼の友人は、彼の態度にがっかりしていた。そして、この「状況のすべて」がいかに彼の妻や子供たちにとって困難かというコメントも何度か耳にした。そこには彼が家族に対して十分なことをしていないという意味合いも含んでいた。
SWは彼の生き方がそうであったように、謙虚に、そして注意深く死に向かっていた。それでありながら、何人かの友人は、彼が彼以上の存在になっていないことに動揺したのである。
死を恐れるということは、私たちの一番深いところにある本能である。それは私たちの意識の中で最も普遍的な拒絶だ。死にとっては、私たちの努力や夢、突き進む目標など、すべてのものがバカバカしい気晴らしにしか見えないだろう。しかし、それでもこの生きている瞬間には、そのような認識はどこかに行ってしまうのだ。そして、その代わりにアイディアや夢などが私たちの中に流れ込んでくる。
あと1時間ほどで葬儀が始まるので、私は自分の予定をチェックしている。BSPとのミーティングがあり、不動産取引に関するカンファレンスコールも入っている…
この週末は感謝しながら過ごしたいと思う。
マーク・M・フォード
Presented by インベストメントカレッジ