マネジメント 2016/10/31

【社員あるある】仕事中は眠そう・休憩時間は生き生き。なぜ?


ロイス:
こんにちは。
ロイス・クルーガーです。
GrowthUの インタビュー・シリーズ へようこそ。
このシリーズでは、世界中で組織の成長に貢献する思想的リーダーや
エグゼクティブの方々とのインタビューをお届けいたします。

本日はスコア・キーピング社社長
チャック・クーンラット氏のご自宅へお邪魔しています。

チャックは1973年にゲーム・オブ・ワークを創立。
以来、個人や企業のクライアントの成功をサポートし続けています。
また、ミシガン州立大学の卒業生であり、
目標設定、利益向上、リーダーシップ・デベロップメントや
ゲーミフィケーションなどの分野で世界的に評価されています。

現在は著者、コンサルタント、そしてスピーカーとしても活躍されています。
彼の著書には
『ゲーム・オブ・ワーク』
『The better people leader』
『Managing the obvious』
『The Four Laws of Financial Prosperities』
『スコアキーピング・フォー・サクセス』
これらはマネジメントには欠かせない著書と評価されています。

世界中で100万人以上がチャックの
スコア・キーピング、コーチング、目標設定、計測などのコンセプトの影響を受けています。
彼は世界的に「ゲーミフィケーションの祖父」とも言われています。

チャックと妻カーラは5人の子供を持ち、ユタ州のパークシティ市に住んでいます。

チャック、今日はお時間をどうもありがとうございます。
 

チャック・クーンラット:
こちらこそありがとうございます。

ロイス:
それでは始めましょうか。

チャック:
7人の孫がいることも忘れないでくださいね。

ロイス:
そうでした。
お孫さんが7人もいらっしゃるんでしたね。

それでは始めましょう。
まず、あなたの経歴についてお話しください。

チャック:
私はアメリカの中心、ミネソタ州に生まれました。
私の祖父母はデンマークからの移民で
祖父は25年もの間、小さな食料品店を営んでいました。

私の父は工具職人でした。
彼の作ったトラクターは今でもこの家にあり
孫達がよく乗って遊んでいます。
父は私が4歳の時に亡くなり、
母は私が6歳の時に再婚しました。
母の再婚相手も食料品店を経営していました。

ロイス:
面白いですね。

チャック:
そのため、子供の頃からビンを仕分けたり、
ジャガイモを袋詰めしたりして育ちました。
しかし、当時私は弁護士になるつもりでした。

ところが、高校を卒業して、ミシガン州立大学で法律を学び始めた頃
その店がつぶれてしまったのです。
だから大学の学費が出せなくなってしまったのです。
そこで私はスフォールズ大学という小さな大学に編入しました。
アメフトチームに入ることを条件に1年間学費を免除してくれたのです。

しかし、私はアメフトで膝を怪我してしまいました。
その上、店が倒産した時に車を手放していたので
アルバイトをすることになったのです。
小さなウォルマートのような、食料と家庭用品店でした。

その店の経営者はスフォールズ市に4つほど店を持っていました。
そこで働く内に、私は次第に食料品売り場での
マーチャンダイジングに興味を持つようになっていったのです。

その頃、父はスーパーバリューという大型卸売業者で働き始めました。
その会社には扶養家族のための奨学金プログラムがありました。
それは食料マーケティング、マネジメントを専攻するのであれば
1年目の学費を出してくれるというものでした。
私は奨学金を受け勉強し、1年後には奨学金をもらうことで
なんとか卒業することができました。

その後南カルフォルニアで就職して
マネジメント・トレーニング・プログラムを受け
6年間をその会社で過ごすことになったのです。

その期間の終わり頃、サクセス・モチベーション・インスティチュートの人と出会いました。
私はその人から750ドルのブリーフケースを買います。
1970年のことです。
そのブリーフケースには2冊の本と8本のカセットが入っていました。
それが私のコンサルティングに対しての興味の始まりでした。

また、私が働いていたスーパーの会社で、
内部コンサルティング部の一員として働いたこともありました。
そこで私たちはスーパーでの労働基準などの開発などを手がけたのです。

そのような経験も手伝って1972年に
自分はこれから何をしたいか、
何になりたいかというマスター・ドリーム・リストを作りました。
まずカリフォルニアから出たいという気持ちもありましたね。

ロイス:
これはあなたの目標設定コースの一部にもありますね。

チャック:
はい。
目標を立て、カルフォルニアを出て、カウボーイブーツを買いました。
そして、神とは、愛とは何かを探す旅にでたのです。

ロイス:
素晴らしい探求、目標ですね。

チャック:
でも、カウボーイブーツですからね(笑)
それまでは私は自分が会社の副社長になれると信じていました。
私の上司が肺ガンになってしまったので、
そのポジションを譲ってもらえると思っていたのです。
しかし、私と副社長の間に新しい社員が入ってきたのです。

私はユタ州を旅行して、別のスーパーの会社に移るか、
自分のビジネスを立ち上げるしかないという結論に至ったのです。
最終的にはユタ州のディー・スミスという
素晴らしい経営者のスーパーで働くことになりました。

その1年間半、私はマネジメント・チームに目標設定のコンセプトを
紹介したのですが、そこでコンサルティングの仕事の虜になりました。

1973年11月1日。
私は両親から借りた3000ドルからフランチャイズ費用を1500ドルを支払い、
残りの1500ドルを運営資金として、ビジネスを立ち上げました。
そして2008年にその会社をその何倍もの金額で売却しました。

ロイス:
なぜサクセス・モチベーション・インスティチュート、SMIが
魅力的だと感じたのでしょうか。

チャック:
私はカクテル・パーティでSMIの人と知り合いました。
彼は私にこう聞いたのです。

「あなたは成功していますか?」

私はこう答えました。

「私には母より美しい妻がいて、実家より美しい家に住んでいます。
良い車には乗っているし、父より給料が高いですよ」

私は当時28歳でした。
「成功をしているか」なんて、おかしな質問だと思いました。

すると彼は自分の持つポテンシャルを生かすことについて話し始めました。
それがとても興味深かったんだと思います。
だから私は彼らを選んだのだと思います。
素晴らしい偶然でした。

ロイス:
70年代後半にソルトレイクシティで仕事をご一緒する機会がありましたね。
あなたはテキサスから戻ったばかりの私に仕事をくれました。

私の義理の母ががんだったので、末期を一緒に過ごせるよう妻と戻ったばかりでした。
あなたはそんな私を雇ってくれました。
私はあなたの仕事のスタイルがとても好きでした。
エネルギーに満ち、目標に向けて一生懸命に働くスタイルが。
あなたのスコア・キーピングや、計測システムにはとても感心させられました。
それ以来、あなたのシステムを使い続けていますが、今でも本当に役に立っています。

スコア・キーピングの基礎や、
あなたの著書の基礎的なテーマなどについて少し聞かせてください。

チャック:
これを見ている方は、経営者の方が多いということで、
このお話をしましょう。
これは私が昔よく言っていたことです。
ずっと話していなかったけれど、思い出しました。
私は9時、10時半、12時、1時半、そして3時のアポイントメントを
全て埋めるのが、自分の行動を管理するための目標でした。
これらの時間帯にとにかくセールスでもなんでも、アポイントメントで埋めること。
つまり1週間で25のアポイントを埋めるという目標が、
仕事を促進させるための自己管理方法でした。

また、起業家として学んだことは、
とにかく外へ出て仕事を見つけなければいけない、ということです。
自分で追いかけていかない限り、ビジネスは手に入りません。

起業家の中には、文房具やオフィスの住所ばかりを気にしたりする人がいます。
先日、クライアントで3つ目のキャリアを目指している、60代後半の男性と話をしていました。
彼にはマネジメント・トレーニングが必要でした。
彼は様々な戦略について長々と語っていたのですが、
私がつまらなさそうな表情でもしていたのでしょう。
こちらを見るなり
「こんなことより本腰を入れてさっさと始めた方がいいと思いますか?」
と言いました。
私は
「それが一番ですね」
と答えました。

私の著書『ゲーム・オブ・ワーク』は
私たちのクライアント企業のビジョンから生まれたものです。
そのクライアントは、ユタ州の出版業の一家でした。
何世代にも渡る企業でしたが、とても良かったです。
彼らが後ほど、私に本を書くように勧めてくれたのです。
確か1978年頃です。
私は話すことは得意でも、文章はあまり得意ではありません。
その時、彼らはこう言いました。
「私たちが共著者を見つけます。
出版と流通は私たちにお任せください。
もちろん、印税はお支払いしますよ」

印税!えっ!
それで話が変わってきました。
私は『ゲーム・オブ・ワーク』の制作に取り掛かりました。
まずコンセプトについてテープに録音しました。
共著者、リー・ネルソンには助けられました。
彼が私の単純なスタイルを文章にしてくれたのです。

リーはフォード社の専門ライターで、
すべての原則を間違いなく文章にしてくれました。
しかし、その文章は私の物ではないような気がしました。
そこでリーは私の「声」から書き直してくれたのです。
その結果、本を読む人が私の声が聞こえるようだと感じるのです。
おかげで私も著者になることができました。著者ですよ!
これはすごいことです。

初めての印税の小切手は694ドルでした。
あなたの後ろにある古時計はその小切手で買ったものです。
「600ドルだけで申し訳ない」と出版社が謝ってきましたが
あの本を出版したおかげで、4万ドルもの契約が入ってきたのです。

この本で書いたことの一つは
『なぜ人々は名誉のためには一生懸命働くのに
お金のためにはそこまで一生懸命働かないのか』
ということでした。

たとえば、マラソンランナー。
ニューヨークでもローマでも東京でも、
マラソンのランナーは参加するために平均して靴やホテルなどに
7500ドルの費用を費やしているのです。

その上、参加するためには服も捨てなければいけません。
どういうことかというと、ニューヨーク・マラソンでは
3万人のランナーがヴェラザノ・ナローズ橋からスタートします。
スタートを待っている間はとても寒い。
だからランナーたちはその間服を着こむ必要があります。
そして彼らは着ていた服を橋の上に捨ててスタートします。
それを古着屋が喜んで集めるのです。

なぜ人々は名誉のためにはお金を惜しまないのでしょう。
このインタビューにしても、私が悟ったことについて話さなければ
誰も見ることはないでしょう。
私がとても尊敬している「起業家の神話」の著者
マイケル・ガーバーも言っていました。
「チャック、あなたはきっかけについて話さなければいけませんよ」

私が悟ったのは、ある組立住宅会社で販売の仕事をしている時です。
そのオフィスは2階にありました。
階下のラインで作業員が住宅を組み立てているのが見えます。
購入者は50代半ばの男性であまり幸せそうな人ではありません。
彼は、私に向かって説教をしています。
「最近の若者は仕事ができない、ああだ、こうだ」と。
自分がそんな説教をするようになる日は最悪ですね。
自分が自分の父親になってしまった証拠ですから。

とにかく、彼は私に説教をしながら、
「あいつらをどうするつもりだ」
と下の方の製造ラインを指差しました。
そこでは8人ほどの20代の若者が家に釘を打っていました。
彼らのペースは、ぬれたセメントを這うカタツムリのようでした。
非常に遅かったのです。
「どうするつもりだ」彼は私に聞きましたが
私は何と答えて良いか分かりませんでした。
販売経験者ならお分かりだと思いますが
こういう場合、時間が止まったような気分になります。

ちょうどその時お昼のベルが鳴りました。
すると下で作業をしていた若者は
駆け足でバスケットボールのコートへ向かいました。
そしてプロの試合のような勢いで
バスケットボールの試合を始めたのです。

42分間、私はただただ見入っているだけでした。
おかしいな。
さっきまで給料をもらいながら
カタツムリのようなスピードで作業をしていた若者が
そこでは汗をかきながら激しく動いている。
当然上司による実績評価もないのに。

その時に悟ったのです。
一体何が起きているか。
12:42に試合が終わりました。
彼らはコーラと昼ご飯を持って作業場にゆーーっくり歩いて戻り
1時にはまたカタツムリのペースで作業を再開するのです。

そこで思ったのです。
つまらなさそうに仕事をしている人が
一瞬にして何かに没頭する。
給料をもらっているわけでもないのに。
私はなぜこのような違いが起こるのか考え始めました。

5つあります。

1つ目の理由は目標、ゴールがはっきりしているということです。
それはどんな娯楽でも同じです。
麻雀でもテニスでもゴルフでもサッカーでもチェスでも。
目標は明確です。

2つ目は、仕事よりも娯楽でのスコア・キーピングの方が
明確だということです。
そして同時的だということです。

ロイス:
画期的な事実ですね。

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