喧嘩の対応にショック…



From:西埜巧祐(にしのこうすけ)

@中目黒のスタバより・・・


「オォコラ! なめてんじゃねーぞ」


駅の近くで、男が殴り合っている。茶髪で20代くらいん見えるお兄ちゃん。そして50代後半と見える、小太りのオジサンの喧嘩だ。場所は駅の近くの喫煙所付近。だから、近くでサラリーマンや仕事帰りの人がタバコを吸っていた。その喫煙所の目と鼻の先のようなところでで、喧嘩をしていた。


どっちが喧嘩をふったかはわからない。ただ、分かることは一方的だということだ。おじさんの方は、圧倒的に殴られている。しかも、殴ってはいないがお兄ちゃんの方は4人いて、それに対してオジサンは1人だ。詳細な姿は、正直遠目だったから見えない。その時はコンタクトとかも外してた。


おじさんが殴られている。そして相手は若いお兄ちゃんのグループ(正確にいうが、殴っていたのはその内の一人だけ。他の人たちは少し、止めようとしていた。だが、多分ボス的なやつだったのだろう。全然止めることはできていなかった)


喧嘩を発見した時に「ヤバイ」と思って、110番通報をした。ものの1、2分離れて警察と話していた。そうしたら、目を離した隙に、喧嘩は終わっていた。オジサンだけが、そこに佇んでいた。


電話越しの警察

「その人と話せますか?」


と言われて、側に駆け寄った。


西埜

「大丈夫ですか?」


と、近くに寄って、声をかけた。背中越しでだ。進んで顔を見たら、血だらけだった。鼻血や殴られた跡が腫れていた。見れたものではなかった。着ていたポロシャツはボタンのところがビリビリっと破れていた。どうやら、誰か他の人が、もっと早いタイミングで警察を呼んでいたようだ。


オジさん

「大丈夫だから、ありがとう」


と言っていたが、明らかに大丈夫ではない。「救急車を呼びましょうか?」と言ったが、おじさんは「大丈夫」。と言っていた。「いやいや、明らかに大丈夫じゃないでしょう」。と言うやりとりをしていたら、警察が来た。


女性の警察官だった。僕より小柄だが、明らかに僕より強そうだった。二人いた。一人は、その場を任せられ、もう一人は犯人を追った。もう一人の警察官は、僕と、もう一人警察を呼んだであろう20代のお兄さんに質問をしていた。


僕は、質問に答えた後、その場を後にした。帰りしなに、オジサンの側を通った。よく見たら、オジさんの目からは涙が出ていた…。


やるべきことは何だったか?


帰り道、自分がやったことを振り返った。110番通報をしたのは、間違いなく正しいであろう。信じられないことだったけど、喫煙所で平気でタバコを吸っている奴もいた。電話をしている時なんて、喧嘩のそばを何事もなかったのように女性は歩き去っていた。


もっと酷い、というか終わっているやつなんて、見えているところでゲームをしている奴もいた。さすがにゲームをしているのを見たとき、「コイツクソだな」と思った。


比べることなんてナンセンスだが、110番通報をしたのは正しいのであろう。人の命よりタバコとか、ゲームを取っている奴に比べたら、間違いなくマシな人間だと思う。


でも、、、、


本来は、電話をしながら”喧嘩を止めに入るべき”だったんじゃないかと思う。そんな腕っ節があるわけじゃない。ボクシングをしているわけでもない。柔道をやっていたわけでもない。


警察を呼ぶのにも時間がかかった。対応に戸惑ったということもある。僕が見たときは、喧嘩が終わりかけで、電話をしている間で、終わってしまったのもある。


言い訳はたくさんできる。


でも、もしあの時、僕が止めていたら、オジさんも、あんなにボコボコにされることもなかったんじゃないか?と帰り道に考えたのです。止めに入って、結果として俺もボコボコにされる。というパターンもある。その悲観的パターンを考えると、110番通報だけで終わったのも、悪くないパターンなのかもしれない。


でも、、、残ったのは深い後悔


「やっぱり、止めに入った方が良かったんじゃないか」

「110番通報をしながら、止めに入って

 「警察呼んだで」と言ったら、

 殴り合いはすぐに終わったんじゃないか?」

「あんなにオジさんも、血まみれにならずに済んだんじゃ?」


などなど、色々考えたのです。僕の中では、今書いている最中も、考えてしまう出来事になりました。


生き方なんていうたいそうなことを考えるわけでもないです。ただ、一つ言えるのは、間違いなく、人が困っている時に、サッと手を差し伸べられる人間になりたいと思ったわけです。


知っていて素通りするんじゃなくて、

知っていてタバコを吸うんじゃなくて、

知っていてゲームをするんじゃなくて…ね。(これはクソだ)


不甲斐なさに涙が出そうだ
あなたも「もしあの時、、、」と思ったことはないだろうか?


「もしあの時、、、」なんていうのは存在しない。だけれども、考えたくなるのが人なのかなと思います。今回の俺なんてそう。今回に限らず、今年だけでも数えきれなほどある。


「もしあの時、〜〜していれば、赤っ恥はかかなかっただろう」

「もしあの時、〜〜していれば、笑い者にはならなかっただろう」

「もしあの時、〜〜していれば、失敗することはなかっただろう」


ハハハ。思い出せば、笑いが出るし、こんなメンタルだと涙が出そうになる。そんな「もしあの時」を積み重ねて今があるわけなので、それはそれだ。起こったこと、やってしまったことは取り返せない。


取り返せるとしたら、未来だけ。今を頑張って、未来をよくするしかない。まさに、この記事で言いたいこともそれなのだ。


「もしあの時」と言わないような人生を送ろう


「もしあの時」で後悔するような人生は送らないようにしよう。少なくとも、送る必要はない。それは、その場の決断によるものだ。今、この瞬間で何を選ぶかによるもの。ということです。


その決断によって決まります。


僕がなんでこの記事を、わざわざお盆に出したのか?というのは、それを考えるきっかけにしたかったからです。個人的にも、あなたにとっても。僕の場合は、普通に仕事をしています。めっちゃ朝から夜までやるなんて考えていないですよ。ただ、ゆっくり、きちんと考えて仕事をしようと決めているわけです。


No1のセールスライター、マーケターなら、普通そうするでしょ。というのが僕の中にあって、そうする決断をしたわけです。


もしかしたら、人によっては家族といると決断した人もいるでしょう。それも良い決断だと思います。


ただ、もし何も決めずにいるのなら、それはもったないと思いませんか?


それこそ、「もしあの時、、、」みたいな話になると思いません?


移動中、普通の人はスマホでゲームをしていると思います。そういう時だからこそ、本を読んだり勉強する方が、良いと思いません?


少なくとも、この記事を読んでいるのなら、並みの普通の人生で満足する人なんていないと思います。だったら、それに向けて”今”をよくする決断をすべきじゃないでしょうか。


お盆という長期休暇だからこそ、考えてみましょう。


「今、何をするべきなのか?」


それが、家族と過ごすことなら、思いっきり家族と過ごしましょう。子供と遊んで、疲れ果てて寝てください笑

それが、友達と遊ぶことなら、遊び倒してください。

それが、仕事をガリガリするなら、止めません!突っ走ってください。


なんであれ、自由です。「もしあの時」なんて言わないようにしましょう。良いお盆をお過ごしください。そのためにも、ぜひ考えてみてください。


「今、何をするべきなのか?」


ー西埜巧祐


PS

まさか、スピーキングエンパイア2回目の記事が、これになるとは思わんかった。人生、色々あるものです。本来は別の記事にしたかったんですけどね^^;

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