マネジメント 2017/02/15

選択の力

FROM:ケン・シェルトン
(リーダーシップに関する出版を主な事業と30年以上して行う、エグゼクティブ・エクセレンス社の創業者 兼 編集長)


by M. Scott Peck

微生物、洪水、疫病、夜の森のオオカミ…。

今から100年前、私たちが直面する危険は、私たちの外側から派生していた。

今日では、どうだろう?

戦争、汚染、飢餓…。私たちが直面する最大の危険は、強欲、敵意、不注意、傲慢、自己愛、ナショナリズムなど、人間自身の意図、動機、感情によって引き起こされている。


以前は、価値観は、「個人が充実した人生を送る方法」というように個人の問題として捉えられていたかもしれない。しかし、今日は価値観は、集団的生存の問題である。もし学問としての価値観が哲学から派生したものだと考えるなら、老若男女が哲学者になる時がきたのではないか。

神学者は「神が我々を創造した」と言う。どういう意味なのだろうか?私たちは皆、自由意思を与えられている。しかし、選択の力は、善悪問わず選べる力でもある。愛に溢れた者になるか、恥を知らないほどに自分勝手になるか。

では、選択の力の本質はなんだろうか?私たちの選択は何によって動機づけされているのだろうか?

いかなる人種、文化、国籍であれ、多くの人がお金に強く動機付けされている。もはや、人間を「ホモ・サピエンス」(現人類。ホモはヒト、サピエンスには賢いという意味がある)ではなく「ホモ・エコノミクス」(ヒト・経済)と名付けてもそんなに間違いではないだろう。

しかし、経済的に動機づけされた行動は必ずしも良い行動ではない。しばしば、明らかな悪意に満ちたり、徹底した破壊や殺人であることもある。

私たちが定期的に「個人の利益」という意図をより高い原則のために、適切に手なずけることをしなければ、近い未来、高い確率で、人間は自らを滅ぼすことになるだろう。

そのような高い価値観とは、価値観や倫理の問題である。私たちがどのように生存していくべきかを賢く知り、本当の意味でホモ・サピエンス(ヒト・賢い)であるためには、私たちは、ただのホモ・エコノミクス(ヒト・経済)であるだけでは足りないのである。私たちはホモ・エシックス(ヒト・倫理)になるべきではなかろうか。

私たちはそれぞれ、大きく異なる認知のレンズを持っており、レンズを通して世界を見ている。それにより、各自が大きく異なる思考スタイルをもって価値観に基づく判断を下したり、倫理に関わる決断をするのである。

倫理的な行動とは、意識的な行動である。もし私たちが自分の意図に無意識であったら、私たちが一貫して倫理的な行動をする可能性は低いだろう。もし私たちが自分が世界を見る特定のレンズに気づいていなかったら、見るもの、答えるものに対して、真の選択を出来ないだろう。


私たちが持っているのは、自分のレンズだけではない。私たちは色々な種類のレンズを持っているのである。そこから2つの結果が生まれる。

1つめは、自分の認識や価値観の正当性に疑問を投げかけることが可能になる。倫理的な行動をどれほどできるかという能力は、どれほど自分に対して問いかけをできるかどうかの能力にかかってくる。実は、全ての悪は、自らの行いを完全に理解している人によって働かれているのである。

2つめは、多面的な決断をすることが可能になる。もし私たちが単に、論理的、感情的、直感的に物事を決断していたとしたら、それらの決断は、ただ論理的なだけ、ただ感情的なだけ、ただ直感的なだけになってしまう。しかし、様々な認知スタイルに気づくだけで、感情・論理・直感全てが組み込まれた決断をする可能性が開けるのである。これにより、人間は思考や言語、右脳や左脳を両方使い、様々な知識を統合することができるのである。

このような統合は、人間の集団的救済には不可欠だと考えている。誠実さは、統合する能力から生まれる。私たちが真の誠実さをもって考え、行動するためには、多面的に物事をとらえ、異なる様々な認識が統合された世界観を持つことが必要である。

倫理的に行動するというのは、誠実さをもって行動することである。価値観に基づいて判断をする際に起動する
異なる認識スタイルについて意識を高めれば、私たちはより巨大な全体性と誠実さに向かっていくだろう。


精神科医、コンサルタント、ベストセラー作家。
The Foundation for Community Encouragement の創設者。

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