賽は投げられた
東部ニューギニア戦線に投入された16万とも言われる日本兵のうち、最終的に8000人ほどが祖国日本に帰ったとされているが、その中にはそんな現地民に命を救われたおかげで帰還した人も多い。
今、日本の各地で普通に暮らし、町の中をスマートフォン片手に歩いている一般人の中にも、パプアニューギニア人によって命を救われた結果、生きながらえた人たちの子や孫は何千人、何万人といるはずなのである。
しかし、我々はそのことを完全に忘れてしまっている。
我々日本人は、この国の人々に大変な「御恩」がある。
返しきれないくらいの御恩がある。
しかし、そのことをほとんど誰も知らないのだ。
いつまで経ってもやって来ない飛行機を待ちながら、そしてそんな「遅延」などまったく気にする様子もない地元の人々ののんびりした姿を見つめながら、私は過去2週間で経験したいくつかの衝撃的な瞬間を何度も思い出していた。
そして、かつて多くの日本兵らが見上げたであろうオーエンスタンレー山脈を再び見上げながら、あと数日後には商社マンとなって都内で働き始めるであろう自分の姿を想像しようとした。
しかし、そんな想像力は、もはやまったく働かなくなっていた。
こんな現実を見せられたのに、このまま黙って帰国し、自分のプライドを満たし、家族の将来のためだけに温々しい安定を追い求めるなど、少なくとも自分の信念とか美学のようなものに反すると思った。
もちろん、こんな感覚は一般常識から外れている。
しかしいったい、すべては昔の戦争の話だと切り捨てて、その後の人生を知らぬ顔で歩むことなどできるわけもないのは明白だった。
1時間半ほど遅れてやってきたプロペラ飛行機に乗り込み、急上昇した機体の窓から外を眺めると、かつての我々の祖父たちが、病魔と敵の攻撃が襲い来る飢餓地獄の中で、ある者は母を思い、あるいは愛する妻子の面影を目に浮かべながら死んでいったに違いない海岸線が見えた。
日本兵は、あの湾曲する海岸線に沿って日本の方向に向けて脱出していったが、ほとんどがその途中で人知れず消えてしまったのだった。
あの密林の土の下に、そしてあの海の水底に、今でもまだ何千ものご遺骨が眠っているのだろうと思った時、涙がボロボロ流れた。
そして、「自分は必ずまた帰ってきます」と心の中で誓った。
帰国後、内定していた商社に電話をし、入社を辞退する旨を伝えた。
身勝手きわまりないこの心境の「変化」によって、大変な迷惑をかけてしまうことに対し、本当に申し訳ないという気持ちもあったが、しかし日本には私の代わり以上に、もっと優秀な人間はいっぱいいる。
一方で、パプアニューギニアでのこんな現実を知ってしまった人間は、そんなにはいないはずだ。
だったら、祖父の世代が何十万と命を落とし、また何百何千もの現地人が、我々日本人を助けようとして死んだこの国と日本を再び繋ぐため、何かをしようと思った。
その孫の世代として、一人くらい自分のような「大馬鹿者」がいても良かろう。
「賢い」者はほかにもたくさんいる。
だったら自分はあえて「大馬鹿者」になろうと思った。
そしてそのためには、日本における地位や安定を自らの安心のために求めることは、いっさいやめようと心に誓ったのであった。
以来10年、パプアニューギニアでいろいろなことをやろうとし、多くの人々に会った。
失敗も多く、立ち直れないかと思ったこともあったが、しかし根本的な部分はまったく変わらずにいられたことは幸いであった。
それはすべて、日本の兵隊さんが向こうの人たちと築いてくれた「信頼」のおかげであった。
それで何度救われたか判らない。
その間、パプアニューギニアが、実は知られざる「巨大な資源埋蔵国」であり、地政学的にも日本の「生命線」であるということにも気付くと共に、当の日本では官民ともにそのことにまったく気付かずにいて、しかも近年の中国の急激な進出によって、日本の安全が南太平洋から静かに、しかし大きく損なわれつつある現場を知るにつれ、大きな危機感を覚えもした。
パプアニューギニアには、私が関わるはるか以前から長年住んでおられるエキスパートの方がおられるし、今では、わずかだが資源ビジネスのために駐在する方もおられる。
そんな方々からしたら、私の経験とそこから見えてきたいくつかの提言などは、まだまだ甘ったるいものかもしれない。
しかし、今から書くことは、過去10年間パプアニューギニアに関わった30代の若輩が、上は首相や大臣クラスの官僚から、下は奥地の村に住む老若男女に至るまで、様々な階層の人々と出会って寝食を共にし、またいくつかの「周辺国」の軍幹部や情報関係者らとも接触し、自身も危ない目に遭い、また何度も苦しい風土病に冒されながら得たわずかな経験と、そこから導くに至ったいくつかの確信についてである。
この本を読んでくださる皆さんが、少しでもパプアニューギニアを含む南太平洋のことを知り、私たち戦後日本人が無意識のうちにどれだけの「忘恩」を重ねてきたか、そして現地の人々が、今日でもなお、どれだけ私たち日本の「力」に期待してくれているかを知ると同時に、この地域が我が国の「生命線」であり、その安全保障環境の維持が、私たち一人ひとりにとってどれだけ重要な意味を持つのかを理解していただけるのであれば、これに勝る喜びはない。
平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
はじめに pp. 12-15