「植民地からの解放者」として振る舞う中国
元来、メラネシア系の人々の「白人嫌い」というのは有名である。
中でもパプアニューギニアは1975年まで、「白豪主義」であったオーストラリアの植民地であったこともあり、白人(特にオーストラリア人)に対して本能的に反発する人も多い。
私自身、多くの現地人から、「ホワイトマンは良くない」という話をよく聞いたし、この地では戦前からすでに、植民地政府や農場経営者などの白人と現地人との間では、いざこざが頻繁に起きていたようだ。
実際に田舎に行けば、今でも肌の白い人を「マスター」と呼ぶ習慣が残っているが、最初にそれを聞いた時は、その前近代的な習慣に衝撃を受けたものであった。
かつてのオーストラリアは、南太平洋の島嶼国の独立後においてもなお、彼らに対して長らく「白人のご主人さま」という振る舞いを続けていたのは否定しがたい事実なのだが、学生時代、オーストラリアで時に人種差別的な罵声を浴びせられたことのある身としては、現地人のそんな「反白人感情」もよく理解できる。
一度、モロべ州ラエ出身で、複数の内閣で大臣職を務めた経験のある政治家、バート・フィレモン氏の演説を聴きに行ったことがある。
1992年以来、パプアニューギニアの未来について、ことあるごとに現実にある深刻な諸問題を直視せよと訴え、相手を構わず辛口の批評をし、時に最高権力者である首相に向かって明確にその間違いを指摘してきた人物である。
複数の人から聞いたところによると、彼はパプアニューギニアでは最もクリーンな政治家の一人であるとのことであった。
このフィレモン氏はまた、白人に対するコンプレックスの除去にも懸命に取り組んでいたが、その話を聞いていても立派な人だな、と思わせる人物である。彼は、「かつて白人は私たちにこう言った。白人はお前たち黒人より優れている。お前たちには車も飛行機も操縦できはしない、と。しかし見てみなさい。今、パプアニューギニアでは地元の女性パイロットが操縦桿を握って、毎日この空を飛んでいるではないか」というようなことを言う。
すると、地元の人間たちは口々に、「そうだ! 俺たちだってできるんだ!」と叫ぶのであるが、フィレモン氏があの静かな口調で、しかも非常に優しく懇々と語りかけると、不思議と外国人であるはずの私もまた、「そうだ! もっと言ってやれ!」と拍手喝采をしたくなる感覚にとらわれたのだから不思議である。
この穏やかで辛口なフィレモン氏は、残念ながら2012年の総選挙で、まさかの敗北を喫してしまったのが残念でならないが、このフィレモン氏を破ったのが、オーストラリア政府から選挙戦術の「ノウハウ」を含む、物心両面における「手厚いサポート」を受けた「無名の女性候補」であったことを見ると、その背後にあった政治的な意図から何から、なかなか考えさせられることが多い。
ここにオーストラリア政府の意志が強く働いていることは、彼女の経歴を見ただけでもよく判る。
日本人からすれば、こんなオーストラリアのやり方を批判することは実に簡単なことであるが、しかし一方で、当のオーストラリアからしてみれば、問題はそれほど単純ではないだろう。
確かに、白人特有の傲慢さがあるのは明らかであるし、パプアニューギニアに暮らすオーストラリア人の一部には、本土では見られないくらいに程度の低い人たちもいる。
昔から「植民地」には程度の低い人間も多く流入するものだ。
しかし、オーストラリアが何を置いてもパプアニューギニアの独立を支援しようとしてきたことは事実であるし、戦後、この地域に対して何もやってこなかった日本は、実際に努力をしてきたオーストラリアに対して、なんだかんだと偉そうに言える立場でもない。
平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第一章 いま、南太平洋で何が起こっているのか pp.76 -78