歴史 2018/06/12

「巨大資源国」パプアニューギニアの戦略的重要性②




1996年当時、シェブロン社の幹部の一人は、この頃までに収集した厚さ15センチにも及ぶ膨大な事前調査資料を前にして、「1998年にはパイプラインの建設が開始され、2001年上半期にはパプアニューギニア産の天然ガスがオーストラリアに供給されることになるだろう」と自信たっぷりに答えていた。


しかし、何年経ってもこの計画は一向に進行せず、建設コストは当初の予想をどんどんと上回って行き、2001年初頭の段階では、すでにこの計画自体、本当に実現性があるのかさえ疑わしいという状態に陥っていた。
しかしこの年の4月、突如、エクソンモービル社がこのプロジェクト計画そのものを、シェブロン社から買い取ると発表、プロジェクトの牽引者が入れ替わることとなった。


これに対し、先の見えないプロジェクトに自信を喪失していた関係企業の幹部たちは一安心し、大いに喜んだ。
オイルサーチ社の社長にいたっては、巨大豪華客船「クイーン・メリー号」に引っ掛けて、こう発言した。


「エクソンはクイーン・メリー号のようだ。スピードアップに時間はかかるが、いったんエンジンがかかったら最後、そう簡単に止まりはしない」


この客船は第二次大戦時、ニューヨークからオーストラリアにやって来て、多くのオーストラリア兵やニュージーランド兵をイギリスに運ぶことで戦争に貢献したばかりでなく、その航海の途中に突如襲ってきた高さ28メートルもの異常な大波に対しても沈没寸前のところで乗りきり、また、その高速性からドイツ海軍のUボートさえ追いつけなかったという伝説の客船である。


しかし、そんな「クイーン・メリー号」と呼ばれたエクソン・モービル社もまた、大きな悩みを抱えることになる。それは、時間的な制約であった。


プロジェクトの見直しのためには予想以上に長い時間がかかるものだが、その間、オーストラリア国内の天然ガスの購入先がどんどんと時間切れとなって契約を取りやめる事態となり、最後には最大顧客の一つであった資源メジャー「BHPビリトン社」も契約の延長を打ち切るなどしたため、このプロジェクトは結局、中止に追い込まれてしまったのだ。


しかしこの「クイーン・メリー号」は、前任者とは違い、やはり止まることはなかった。
彼らは、今度はこのハイランド地方の天然ガスを、より短いパイプラインでポートモレスビーに運び、その郊外に建設された工場で液化し、そこから船で海外市場に売り出すという方向に転換した。
やがてこれが具現化し、現在のエクソンモービル社のプロジェクトへと繋がっている。


現在、この計画は何とか前進しており、ポートモレスビー郊外では日本の日揮と千代田化工が、世界最高の技術を駆使しながら、この液化天然ガス工場を建設中である。


700キロに及ぶパイプラインも着々と建設されており、2014年か15年には最初のパプアニューギニア産天然ガスが、日本などに向けて輸出されることになるだろう。



平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第一章 いま、南太平洋で何が起こっているのか  pp. 55-56



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