私に辛抱強さを与えてください・・・今すぐにです!
皆さんこんにちは。
皆さん、それぞれに一年の目標を決めていることと思います。
私の、今年の目標は、もっと辛抱強くなるということです。
私たちは全てを達成しようと、
人生を走り抜けるように生きています。
新たな仕事をこなすのに、
一日が36時間なくてはならないような感覚です。
私たちは達成したいことを全てこなそうと、
とても短気になっています。
このように、辛抱強さを欠くと、疲れ果ててしまい、
ほとんどの人が休暇を楽しむことができなくなります。
ここでティナ・アーウィンの記事をご紹介します。
この記事によって、今だけでなく人生を通して、
ライフエネルギーと思考プロセスを常に気に留めることが、
いかに重要かということがわかるかと思います。
願わくは、この記事が皆さんに
Right Thinkingの展望を与えますように。
それでは、ここからは記事をお楽しみください!
私に辛抱強さを与えてください・・・今すぐにです!
私たちは今よりも、
もっと辛抱強くならなければならない
ということを知っています。
辛抱強さが美徳だということも知っています。
自分を徳のある人間だと思いたがるものです。
人が自分に接する時も辛抱強くあってほしいと望みます。
私たちすべてが、辛抱強さは重要だと信じています。
ただ、面白いことに、先ほど述べたことに
「しかし」という語を付け加えることもできるのです。
私たちはもっと辛抱強くならなければいけない
ということを知っています。
しかし、「それは、かなり難しい」とか、
「私の両親は私に関して辛抱強くない」とか、
「辛抱強くいられる余裕などない」とか、
「私がどれほど忙しくて、
どれほど重要な地位にいるか知らないのですか?」
といった文を付け加えることができるのです。
辛抱強さとはなんでしょう?
辛抱強さとは、人、場所、物事、状況などに対して、
せっかちにならないという意味です。
辛抱強い時間を過ごすほうが、
短期で苛だたしい時間を過ごすよりも、
より多くのものを得ることができるのです。
こういう格言を聞いたことがあると思います。
彼らは聖人の辛抱強さを兼ねそねていました。
私たちがそこからどんな恩恵を受けられるか、
聖人は知っているのでしょうか?
おそらく、時間というものは
私たちが考えているようなものではないということです。
辛抱強さはこれまでも、そしていつでも、
時間と関係してくるのです。
聖人は辛抱強いというだけで、
普通の人間となんら変わりはないのです。
辛抱強さとは私たち一人一人が、
自分の時間や生きている瞬間を
どう過ごすかという選択なのです。
辛抱強さとは自分を律することなのです。
つまり、辛抱強い人というのは
自分を制する力のある人を指します。
彼らは自分の時間を効率的に配分する方法を知っていて、
さらに、配分した時間に優先順位を付ける方法を知っているので、
彼らは、時間に大いなる余裕があり
辛抱強い状態を保てるのです。
辛抱強い人というのは自分の人生に安心しています。
彼らは常に安心感を持ち、何かにおびえたりしません。
時間というのはお金のようなものであり、
辛抱強い人というのは、
それをとても賢く使う方法を知っているのです。
辛抱強い人というのは、時間やお金に寛大です。
時間はお金のようなものだ、
と言って常にせっかちでいる人は、
結局、何かを失っていくものです。
こういう人は頭の良さでその場は切り抜けられても、
それは永遠には続かないのです。
結局、人というのは、
辛抱強さの実際のパワーを大事にしながら
人生を生きていく必要があるのです。
辛抱強い人というのは大抵、とても賢いものです。
彼らには辛抱強さという美徳があります。
なぜなら、彼らの道徳的観念が
彼らに時間を有効に使うよう要求するからです。
辛抱強さを、聴くという行動に当てはめてみると、
本当にじっくりと耳を傾ける
辛抱強さを持たなくてはなりません。
辛抱強い人というのは、ボディランゲージや、話し手の着ているものや、
その人の態度にかすかなサインを感じ取り、
実際に言葉として発せられていないことも
聴き取ることができるのです。
辛抱強い人というのは、自分の置かれている状況から
どんなサインも見逃しません。
なぜなら彼らはじっくり聴く時間を取ろうとするからです。
辛抱強い人というのは、
自分にできないことや修正できないこと、
そして変えられないことが何なのかを認識しています。
短気な人はもっとも重要な、
言葉に表れないサインを見落としがちですが、
どんな状況でもサインというのはとても重要なのです。
私たちの望む辛抱強い人とはどんな人なのでしょうか?
カーレースをしているとしたら
どんなことが考えられるでしょうか?
あなたの最大の望みは、車を修理してくれる人が、
あなたの車がレースを完走できるように
してくれることではないでしょうか?
ボルトはどれもしっかりと締め、
車のトラブルを全て聴き取って、
きちんと仕事をこなしてもらうためにも、
彼らにじっくりと取り組んでほしいと思うことでしょう。
医者は患者が言葉にしないことも
キャッチしなくてはならないので、
患者の話をじっくりと聴かなくてはなりません。
パイロットは、
機体が何を訴えているかに注意深く耳を傾けて、
じっくりとフライトの準備をしてほしいと思いますよね。
両親は子供に対して辛抱強くなければなりません。
多くの親は子供を膝に乗せ、キスをしながら
じっくりと彼らの話を聞くものです。
親がもっと子供と辛抱強く向き合っていたら、
学校で起こる問題がどれほど減少するか考えてみてください。
辛抱強い親は、せっかちな親にくらべて、
子供の人生に何が起こっているかをよくわかっています。
子供や10代の若者というのは辛抱強い親には
どんなに言いにくいことでも打ち明けるものです。
なぜなら、そういう親は自分の話したことを
適切に扱ってくれると知っているからです。
親が自分のすることを気にかけてくれると分かっているのです。
農業を営む人にも同じことが言えます。
農業やガーデニングでは、
自然はコントロールできないのだということを学びます。
私たちは辛抱強く自然と向き合って、
自然のバランスやリズムを見ながら
やっていかなくてはなりません。
調理人は材料を入れる手順をじっくりとこなし、
調理時間を間違えないようにしなくてはなりません。
ひっきりなしにオーブンのドアを開けたり閉めたりしながら、
ケーキの出来具合をチェックするような、
せっかちな調理人は大抵失敗するものです。
辛抱強い調理人は調理時間を信じ、
最後までチェックしようとはしません。
自分に辛抱強くなることは
人生で最大の要素なのです。
心が傷つき、悲しい気持ちになったら、
それが癒えるのをじっくりと待る必要があります。
成長したければ、
じっくりとそのプロセスをたどる必要があります。
恋に落ちたり、恋が実ったりしたときは、
じっくりと愛が育つプロセスをたどらなくてはなりません。
おそらく、最高の祈りを捧げる者は、
知恵、洞察、そして勇気を持って、
人生全ての時間に対処できるように、
我々に辛抱強さを与えたまえ、と神にお願いをするでしょう。
リー・ミルティア