歴史 2018/09/20

大学教授になる方法


業績の数

平成日本の憂うべき大学教育の現状について、日本と米国で大学教育を体験した1人として意見を述べたい。両国の学生が勉強するしないの話ではなく、大学教育の「芯」である教授について、関東と関西で大学教授をしている友人・知人たちの話と私個人の滞米体験をまとめると次のような現状が浮かんでくる。

米国の大学では、書く力が貴重品扱いを受ける。特に大学院では書けないと落第する。その書ける力に「金銭的な価値」がくっついているからだ。例えば、米国で大学教授になるには博士号を取得していて、「業績」と言われる出版物があることが必要条件である。論文や本を出版しなければ解雇されるという厳しい鉄則がある。

脅しではなく実行される掟だ。年功序列では教授になれない。大学教授になる手順は簡単で、履歴審査(ここでほとんど落ちる)を通過した者がインタビューを受け、模擬講義をし、合格すれば「助教授(日本の講師)」として6カ年の期限つきで採用される。この6カ年が天国と地獄の境目で、助教授たちは研究論文を年間最低3本出版しなければならない。年間3本の論文が大変なのは、全米の学術専門誌(年4回出版の季刊誌)に掲載してもらえるのが宝くじのように難しいからだ。


査読付き論文の重み

論文を書いたから出版してもらえると思うのは妄想で、厳選な編集レフェリーつき(同じ専門の著名な学者たち)の審査委員会を通過しなければならない。投稿された原稿が500本だとすると、実際に出版されるのは5、6本。助教授たちの目が血走っている状態が普通の精神状態である。



1人で書いた本は、論文10本分に匹敵し最も高く評価される。助教授が6年目の監査を無事に通れば終身在職権のついた「準教授・日本の助教授」に昇格する。

日本で雑草のようにはびこっている「紀要」と呼ばれている大学内の学術誌は、米国で評価されている学術専門誌ではない。「紀要」には、投稿された論文の善し悪しを厳しく選別するシステムがないので、教授たちの書いたモノはそのまま掲載される。


お門違いの「学内政治」

選別をしないプロの集団は弱くなってゆくのが自然の習わしである。日本で業績がないため解雇になった教授なぞ聞いたこともない。業績がなくてもクビにならないので、多くの教授たちは学術意欲を失い、お門違いの「学内政治」に全身全霊を傾け出世しようとする。実際に出世できるそうだ。

日本では、業績(論文と本)が数多くあっても評価されないことが多い。例えば、親友で東京在住の助教授は、若いのに100本以上論文があり、学生にも絶大な人気がある授業(選択のクラスで出席を取らないのに400名の学生がかぶりつき)を行い、また労力がかかり人望がないと不可能なシンポジウム(学術会議)を次々に催し目覚ましい活躍をしていたが、正しく評価をされていなかった。

彼の教育改革への提案は、「過激」「他の大学ではやっていない」と没にされ、また「モノの言い方が強すぎる」と焦点の狂った批判を受けていた。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第5章 戦争と平成日本 –21

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