歴史 2018/10/23

今でも目撃される戦没将兵らの「幽霊」?②




しかし、ちょっと山岳部に入ると今度は気温がぐっと下がる。
初日の目的地は、日豪両軍が初めて組織的な攻防戦を行った「イスラバの戦い」の現場だ。


一週間の戦闘で500名もの日本兵が戦死傷をしたという標高1400メートルの村であり、ココダからは地元民の足だとわずか数時間だが、我々の足だとどうしても7時間はかかる。あまりの急勾配にふくらはぎは攣りっぱなしだし、4時間の強行軍の間に水筒の水もすぐに全部飲み干してしまった。


午後3時半頃になってようやく、今回の計画を作ったオーストラリア陸軍の元機関銃兵であった友人のスティッグが「小休止しよう」と言ったので、私は我慢できずに岩間からほとばしる綺麗な沢に頭を突っ込み、過去数時間で一気に失った水分を取り戻そうとしてゴクゴク飲んだ。
これが冷たくて最高に美味い。甘いとさえ感じた。


そしてようやく人心地ついたので、さて次にこの美味い水を水筒に一杯に入れてやろうと思ってかがんだその瞬間だった。
私の右側の空気が動き、その耳元で、

「What are you doing here?(ここで何をやっているんだ?)」

という声が聞こえた。
完全にオーストラリア訛りの、しかも野太い声だった。


一瞬、同行しているスティッグかと思って、「何だって?」と顔を上げてあたりを見たら、私の右側には誰もおらず、ただジャングルが広がっているだけだった。
あわてて左側を見ると、スティッグはなんと20メートル以上も先の別の沢にいて、同行するR君と水を汲みながら話をしているではないか。
「おかしい!」と思って再びあたりを見回したが、やはり誰もいない。


しかしあの声は、まさに隣に誰かが立っていて、それで話しかけてきた感じであり、しかも間違いなく「オーストラリア人」のそれだった。
確かに、空気が動くような、人の気配さえ感じたのである。

「戦没したオーストラリア兵の声だ!」

そう考えた瞬間、全身に鳥肌が立った。
そして同時に、オーストラリア兵の多くもまた、このジャングルで戦死し、または行方不明となったまま二度と救出されなかったのだから、今でも浮かばれぬ霊がさまよっているのだろうと思った。
怖くなったが、同時に哀れにも感じた私は、すぐに2人のところに合流して、再び山を登り始めた。


そこからさらに十数分歩いた時だった。
今度は、私の後方を歩いていた現地人スタッフのR君が、いきなり私のバックパックをつかみ、

「ミスター丸谷、聞こえますか、あの声!」

と怯えるような声を出した。
何があっても冷静沈着で、私が最もその判断を信頼する男の一人なのに、めずらしく怯えた顔をしている。
しかし私には、何も聞こえない。


ジャングルというのは本当に静かなので、風がなく、近くに川がなければ何も聞こえない。
鳥の声すら聞こえない。

「いや、何も聞こえないよ」

そう言っても彼には聞こえるらしい。

「何人もの男が、ウワー、ウワーって叫んでいます! ゴーストだ!」

と顔を真っ青にしているのだ。
気がつくと、密林の中のせいもあるが、あたりは夕方4時頃とは思えないくらいに、とにかく暗い。

「よし、じゃあ先を急ごう。心配なら、俺のバックパックの紐をつかんでいろ」

と言って、先を急いだが、背後から冷たい風も吹いてきて、本当に不気味な瞬間だった。


この山中を行動中、我々は朝5時に起床し、5時半に歩き始め、昼の12時から1時間昼食をとり、その後、夜の8時くらいまで歩き続けるという「過酷な」毎日だった。
スティッグは、さすがにコマンド部隊の候補生だっただけあって、とにかくあの山岳地帯でも足が速い。
常に道を確認しながら私の数十メートル前方を歩いている。
かつて登山をよくやったとはいえ鈍っていた私は、付いていくだけで精一杯だった。


その翌晩には、今度はそんな我々3人が一緒に不気味な体験をしている。
ある低地でキャンプをしていたところ、夕方からずっと周囲の森の中で何十人かの人たちがザワザワと話しているのが聞こえてくるのだ。


当初は別のグループが近付いてきたのかと思っていたのだが、結局その不気味な話し声は、夜中になってもやむことはなく、3人はできるだけ火を絶やさないようにして、寒さと恐怖に震えながら眠るしかなかったのであった。
こういう時は、先に眠った者の勝ちであるが、この時に限っては3人とも、ほとんど眠ることができなかった。


このようなことを信じるか信じないかは人それぞれだが、もし自分があの戦争で日本に妻子を残したまま命を落とし、しかも自分の死に場所がどこであるかさえ判らないのだとしたら、きっと日本からやってくる遺骨収容班を「鬼哭啾々」たる思いで待ち続けただろうし、実際にそうやって淋しく、悲しく、無力感に打ちのめされて死んでいった日本兵は多いのである。
こんな亡霊たちは、過去70年もの間、ずっとあの密林で戦い続け、または泣き続けていたのだろう。



平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第三章  ニューギニアの日本兵 pp.145-148


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