ウォーター・ゲート
事件のあらまし
ニクソンは次期大統領選挙が1974年から本格的に開始されることを十分考慮し、ベトナム戦争を早く終結させ、将兵を帰国させないと、選挙に敗れると自覚していた。
選挙どころか、ニクソンは米国史上で最悪のスキャンダルと言われた「ウォーター・ゲート」と名づけられた犯罪に巻き込まれる。
ニクソン(共和党)の選挙運動員5人が、真夜中に政敵民主党の本部がある首都ワシントンの「ウォーター・ゲート」ビルに忍び込み、秘密文書でもあるのではないかと懐中電灯で探っているところを見つかり、全員警察に逮捕された(1972年6月17日の夜)。犯罪の太い蔓がニクソンのホワイト・ハウスにまでつながっていた。
ニクソンの辞職
これは有力紙『ワシントン・ポスト』紙にすっぱ抜かれ、ニクソンは立つ瀬がなくなり、1974年8月9日辞任に追い込まれた。現職の大統領が辞職したのは米国史上初めてである。
このスキャンダルはハリウッド映画になり、大ヒットを記録し、アカデミー賞まで受賞した。
第四次中東戦争
ウォーター・ゲート事件の真っ最中に、くすぶり続けている中東でまた大戦争が勃発した。
エジプトの大軍が突然、1973年10月6日、スエズ運河を渡り、イスラエルに奇襲攻撃をかけた。
同時に、イスラエルの隣国シリアも攻撃を開始した。挟み撃ち作戦である。国の存続を懸けた皆兵国イスラエルは米国から軍事援助を受け、エジプトとシリアを徹底的に打ち負かす。
石油国のアラブ諸国(OPEC)は、宿敵イスラエルを地図から抹消したいのだが、アメリカが護っているので目的を果たせない。武器で勝てないのなら、経済の血流を止めるという反撃に出た。
10日後、10月17日、OPECはアメリカに石油を輸出しないと決定した。原油の値段を3ドルから5ドルに引き上げ、3ヵ月後には、12ドルにした。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−24