不動産投資レッスン:地元の賃貸物件を売買する
私の初めての不動産購入は、忘れることができないほどの災難だった。妻のKFFと私は、ワシントンD.C.のデュポン・サークル地区にある小さなタウンハウスを借りて住んでいた。私はアフリカでの2年間の平和部隊の派遣任期を終えて帰ってきたばかりで、国際ニュースレターの発行をおこなうK通りにある小さな出版社でジャーナリストとして働いていた。
予定外に子供が生まれたことによる新たな支出(喜んで払えるものもあれば、痛い出費もあった)、かなり前から予定していた大学院の学費、そして予想はしていたものの過小評価していた現代アメリカのライフスタイル(2年間のアフリカ生活で感覚が鈍っていた)などのため、KFFと私は経済的にひっ迫していた。それなのに、私たちの家主だったBDDから不動産オーナーになるべきだと説得され、開発地域に建設されたコンドミニアムを購入することになった。購入時にかかる諸費用はさほど高くなかったが、毎月のローン返済はおそらく10万円ほどで、私たちにはかなりきつい出費だった。
コンドミニアムは実際に住んでみると狭すぎることが分かり、私たちは貸し出すことにした。そこから、私の実生活における不動産の勉強がスタートしたのである。
税金、維持費、住宅ローンを計算すると、コンドミニアムに毎月掛かるコストは約9万5000円だった。しかし、これを賃貸マーケットに出すと、家賃からは5万5000円しか取り戻せないことが判明したのだ。つまり、毎月4万円、年間で50万円の持ち出しである。私はこの赤字分を賄うことができなかったので、アパートを売りに出そうとした。しかし、不動産の実際の資産価値よりも、銀行からの借入金の方が150万円も上回っていたのだ。
私が陥ったジレンマについてお話ししよう!私に残されたのは、コンドミニアムを売らずに毎月捻出が厳しい4万円を支出し続けるか、もしくは売却し、その場で150万円の損失を出すという、ありえない選択肢のいずれかであった。
そこで私は売却することは諦め、他の出費を抑えて赤字分を賄い、マーケットの状況が良くなることを待つことにした。
しかし3年が経過し、経費の持ち出しが合計150万円になっても、マーケットの状況は変わらなかった。しかも、私の不動産取引の状況はさらに悪くなろうとしていたのだ。
私のローンは3年間のバルーン返済だった。つまり、3年ごとに全額返金するか(私には無理だった)、借り換えをしなければならない。ということは、さらに高い金利と契約更新料を支払わなければならないのだ。初めての更新後、私の記憶が正しければ毎月の持ち出し分は4万5000円に増額した。そして、わざわざこの追加の5000円のために、私は15万円のローン契約更新料まで支払ったのだ。
もちろん、他の銀行に借り換えをすることも検討した。しかし、フレディマック(連邦住宅貸付抵当公社)やファニーメイ(連邦住宅抵当金庫)による公的保証がないローン契約だったので、どんな銀行も借り換えに承諾しないのは分かっていた。最初の契約の際に、私はだまされたのである。彼らは3年間のバルーン返済以外のローンを提示してこなかった。なぜなら、それが私からお金を吸い上げる一番いいやり方だからだ。こうして、彼らは売ることのできない資産価値の低い不動産ローンをうまく利用し、3年ごとに金利を上げ、更新手数料を請求するのである。
ここで話を終えても、あなたはきっと同情してくれるだろう。しかし、実際のところ事態はより深刻だった。何と私のローン残高は増加していたのである。つまり、返済から3年経過後に住宅ローンを一括返済した場合、返済金額は最初の借入額を上回るのだ。3年間で50万円以上のローン返済を終え、15万円の更新手数料を支払ったにもかかわらず、680万円の借入額は手数料や利息を足すと720万円になってしまう!
私は不動産地獄にはまっていたのだ。
私が詐欺師への支払いを完済し、そこから抜け出せたのは、お金を稼ごうと決心したときだった。そして、その後は実際に稼ぐことができた。私が支払ったこの高い勉強代は総額350万円にもなっていた。6年もの間、毎月4万円の生活費を切り詰めなければならなかったのである。
それに、もう1つ事件があった。コンドミニアムを貸していたかわいい女の子は実は売春婦で、昼夜を問わず客を連れ込み近所から絶えず苦情がきていたのだ。しかし、彼女を退去させることはできないと言われていた。ワシントンD.C.には、邪悪な家主から無実の賃借人を守る法令があるからだ。
不動産に対する私の第一印象はこのように散々なものであった。しかし、私は再び不動産ビジネスを始め、大金を稼ぐための具体的な方法を身につけていったのだ。
マーク・M・フォード
Presented by インベストメントカレッジ