富とお金 2018/06/20

エボニックスがよくない理由と人生の教訓




あなたの子供や友人、同僚、従業員の能力を伸ばしたいなら、やってはいけないことがある。それは甘やかすことだ。

助けたいという気持ちは素晴らしいが、裏目に出ることが多い。不利な状況で戦っている誰かを見ると、手を差し伸べて競争相手と同じところまで引き上げてあげたいと思うのは自然なことだ。しかし、助けられた側は不利な状況を克服する機会が奪われてしまうので、その人をダメにしてしまう。

2つの事例を紹介する。

カリフォルニア州で母国語がスペイン語の生徒が授業を受けやすくするため、お金のかかる2カ国語プログラムを設置するよう有権者が求めた。しかし、それはうまくいかず、彼らのテストの点数は下がってしまった。これは支援が足りないせいであり、もっと支出を増やしてプログラムを充実させるべきだと主張する人もいたが、明らかな失敗事業だった。

その後、プログラムは廃止され、英語のみで授業がおこなわれるようになると、英語を母国語としない生徒の平均点は急改善したのだ(数年前に2カ国語プログラムは大幅に改善され復活した)。

アメリカの教育に関するレポートによると、17歳のアフリカ系アメリカ人生徒の国語と数学の平均点は、13歳の白人の平均点と同じであり、もっとも乖離が大きくなった。これには、エボニックス(黒人英語)が文法的に間違っていることも起因する。

これは社会現象ではなく、自然の摂理だ。バクテリアのいない環境にすると、逆に病気に感染しやすくなるのと同じだ。

免疫力を高めるためには不潔な環境が必要なように、賢くなるには知的な難題が必要なのだ。

これは当たり前のことなのに、こうした甘やかしプログラムを推進するジャーナリストや教師、心の優しい人たちにはそれが理解できない。教育や政治の世界で常識とされる考えは、それ以外の世界では追放されたり、軽視、嘲笑されている。

スポーツの世界ならもっと明確だ。どこの高校のコーチでも、上達したいなら相当の練習をしなくてはならないと教えるだろう。「苦労なくして得られるものはない」というのは、スポーツなら紛うことなきルールだ(これはフランスのテレビで放送されていたことなので話半分で聞いてほしいのだが、フィジーの世界レベルのサーフィン選手は、「何かに秀でるために一生懸命取り組むことへの理解がある」場所でトレーニングするため、母国を去ってアメリカに移住したという)。

奴隷制度の廃止後、アフリカ系アメリカ人にもっとも悪影響を与えたのは社会福祉制度だった。進学や就職、起業などで優遇され、食料や医療などの生活扶助を受けられるので、依存性の高い文化になってしまった。どのデータを見ても、アフリカ系アメリカ人の暮らし向きは悪くなる一方で、主要な社会的カテゴリーでそれが著しい。

一方、ユダヤ系アメリカ人はナチスの迫害からまだ一世代しか経っておらず、いまだに偏見や差別に苦しめられている。しかし、基準を上回る生活や教育水準、医療の充実を実現しているのだ。

この違いは、ユダヤ系アメリカ人には政府の補助金や支援が一切なかったことから生まれたと考えている。彼らは成功するために自分のスキルに頼り、協力し合うしかなかった。そして、その方法で実際に成功してみせた。

政府の政策がアフリカ系アメリカ人をダメにしたのなら、成功したものはないのだろうか。あまり思い浮かばないが、教育面では私立学校(ほとんどが民間運営)が標準カリキュラムを重視し、教育や規律を厳しくしたことが良かった。社会面では、ブラック・ムスリムの取り組みが挙げられる。

ジェームズ・ボールドウィンは1962年に出版した『The Fire Next Time』(邦題『次は火だ』)にこう書いている。「イライジャ・ムハンマドは、ソーシャルワーカーや委員会、決議、報告書、住宅や公園プロジェクトが長年失敗してきたことを成し遂げつつある。アルコールや麻薬中毒者を社会復帰させ、刑務所から出てきた人の再犯を防ぎ、高潔な人を育て、人々に消えることのない光として誇りと平静を授けることだ」

私はイライジャ・ムハンマドのファンではないが、彼は素晴らしい信条を持ち、ファード・ムハンマドの不穏な教えを穏便な思想に変えた。ファード・ムハンマドはニュージーランド出身のイギリス人とインド人のハーフで、前科者の詐欺師だった。彼はイライジャや初期のネーション・オブ・イスラム(アメリカの黒人イスラム教徒から成る組織)のメンバーに、爆弾を載せた1,500艇の舟を円形宇宙船で運べば、アメリカとイギリスを破壊できると説いていたのだ。

しかし、イライジャは成功するためには勤勉、正直、根気強く、という昔ながらの美徳が求められることを教え、彼が死去した1975年以降も、アメリカのムスリム社会に大きな影響を与え続けた。高卒の学位も持たない人たちが政府の援助への依存を断ち、自分の力で生活するのは大変なことであり、ブラック・ムスリムもそのことは理解している。

私はエボニックスを直接批判しているのではない。競争や達成へのアイディアを探求しているのであって、支援は逆効果になるという皮肉な原則が根底にあるように思うのだ。私は人を助けることをやめないし、車椅子用のスロープがいらないと議論するつもりはないが、この原則については考える余地があるのではないか。

この話から役立つ情報がほしいって?それでは、ここから得られる教訓をまとめよう。

まず、成功するスキルを身に付けるには、相当の努力をすることが必要だ。良いアドバイスや人との交流で進展を大幅に早めることは可能だが、痛みは避けて通れない。

次に、友人や家族、恋人を助けるのは自由だが、方法には慎重になること。いつかは自分でやらなくてはならないことをやってあげたり、自分で手にいれなくてはならないものを与えたりすることは、彼らが学ぶ機会を先延ばしすることになる。

そして最後に、何かを甘やかす政府法案には反対票を投じること。それは社会にとって悪影響を及ぼすのだ。

マーク・M・フォード

                                                Presented by インベストメントカレッジ

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