50歳からの人生:素晴らしい人生の後半を過ごす
私が50歳になったとき、想像していたより悪くはないと思った。身体にガタはきていなかったし、精神も健全だった。
しかし、軽く考え込んでしまうこともたまにあった。50歳は人生の中間地点であり、過去の失敗を把握することもできるし、それらを未来に活かすこともできる。過去と未来の両方を見渡せるのだ。そして50歳になると、自分が望んでいるより、終わりが近いかもしれないと感じるようにもなる。統計を見ても、人生の半分以上が終わったことを示している。
統計だけではなく、関節の痛み、視力の低下、脂肪燃焼を高めるホルモンの減少など、あなたの体も先が長くないことを訴えてくるのだ。
シアーズ医師(6つの健康アプローチを提唱している)によると、年齢による心身の衰えは、子孫へ重要な情報を伝えるように促す生物学的現象だという。言い換えると、人類の進化という大義を除けば、人が死ぬ前に衰えなくてはならない生物学的理由はないのだ。私たちは若い世代に引き継ぐために、心身が弱っていくように作られている。年寄りは衰えでもしない限り、若者に主役を譲ったり、必要な知識を伝達しないということだ。
私の子供たちがビジネスの主役になっていくことは大いに応援したいが、私が衰弱することでそれが実現するという道理が解せない。
階段を一段降りるたびに膝が痛むようになれば、ゆっくり行動するようになり、そして愚痴っぽくもなるだろう。しかし、私より年上の尊敬する人たちを思い浮かべると、私の父、祖母、昔のビジネスパートナー、個人会計士も、誰もそんなふうにはなっていないと気付いた。
アナ・クィンドレンの著書『A Short Guide to a Happy Life』(邦題『幸せへの扉:世界一小さなアドバイス』)には、死を認識することは「あなたに起こる最高のことのひとつ」だと書かれている。私も50歳になったとき、そう感じたのだ。
後半の50年を受け身に生きるつもりはなかった。人間の体は120年持つのだから、悲観する必要はない。私はその100年でも生きられたら幸せだが、それは単に長生きするという意味ではなく、楽しみや利益をも追い求めるということだ。
年齢を重ねることを楽観的に構えているのには、歴史的な根拠がある。
例えば、アリストテレスは若い頃、ほとんどの年月をプラトンの弟子として注目されることなく過ごした。彼が自身の哲学を確立したのは、意外にも50歳になってからであり、その後、時代で最も影響力のある哲学者になったのだ。
ヘンリー・フラッグラーが鉄道プロジェクトを始めたのは70歳を過ぎてからであり、それからほぼ単独でフロリダ全土を開拓した。
ジョン・グレンは1962年にアメリカ初の有人人工衛星のミッションのパイロットになり、53歳で(オハイオ州の)上院議員に選出された。そしてNASAの初飛行から36年後、77歳でディスカバリー号STS-95に乗り、宇宙飛行の最年長記録となった。
かつて寿命は50年と考えられていたが、今では100歳以上生きる人が増えている。だから、あなたも50歳の誕生日を人生の半分、そしてセカンドチャンスの始まりとして捉えたらどうだろう?
50歳になったら新たな人生を始めるのだ。しかし、一からではなく50年の経験を活かしてだ。同じことをしてもいいが、もっと賢く、明確な見通しを持って楽しく進んでいこう。
50歳になる人は(50歳を過ぎている人も)、新しい人生を祝福し、次の50年をより良く幸せに過ごすことを誓おう。さらに賢明に、リラックスしながら、そしてスリムな体型を保って健康に生きていくことだ。積極的にいろいろなことに取り組み、さらに多くのことを成し遂げよう。統計学者が言うことなんて気にしてはいけない。
既存サービスを改善して100億円稼ぐ
50歳からビジネスを始めたり、金持ちになるのは遅すぎると思われているが、それは間違いだ。特に、メールボックス・エトセトラを急成長させた功績で知られるトニー・デジオの前で、そんなことを言ってはいけない。1980年に新規ビジネスへの投資をもちかけられたとき、トニーは50歳ですでに仕事を引退していた。しかし、米国郵政公社の長い待ち時間や劣悪なサービスに変わるビジネスを生み出すという考えが気に入り、この会社に25%出資することにしたのだ。
数年間、その会社にはまったく利益が出ず、デジオの3人のパートナーは資金を引き上げた。しかし、トニーは家を抵当に入れ、妻の婚約指輪を担保にしてまで出資を維持した。悪戦苦闘しているビジネスへの出資を他の誰にも依頼できなかったので、ビジネスをフランチャイズ方式に変えることにした。すると、そこからすべてがプラスに働き、すぐに店舗の運営や売上が好転し始めたのだ。1986年にその会社は上場を果たし、初期の投資家は初めの10年間で平均30%のリターンを得ることができた。
今日、メールボックス・エトセトラはUPS(ユーピーエス、宅配会社)の子会社となり、34ヶ国に約6000店舗存在している。当初、デジオはフランチャイズオーナーに利益の一部を広告費に共同出資するよう促したことで、強いブランド力を確立できたと話す。そして、彼は新規フランチャイズを出店する際は、最適な場所を選ぶことが何より重要であることも学んだ。「賃料の安い、繁華街から離れた客のいない場所を選んで失敗する起業家が多い。私は高い賃料を払ってでも人通りの多い場所を選ぶ。それだけの価値があるからだ」と彼は言う。彼はまた、経費に慎重になるべきだというアドバイスや、メールボックス・エトセトラのUSP(ユニーク・セリング・プロポジション)が利便性の高さであることを教えてくれた。
デイブ・バリーが50歳になってから学んだこと
・人類が本来の能力を発揮できない、そして今後もできないであろう理由を一言で言うなら、職場の無駄な「ミーティング」のせいである。
・あなたが上手く踊れなくても誰も気にしない。だから、さぁ踊ろう。
・ステーキナイフを舐めてはいけない。
・ある女性が妊娠していると思っても、実際に赤ちゃんが生まれるその瞬間まで、妊娠していますねと直接的にも間接的にも言ってはいけない。
・あなたに優しくても、ウェイターに失礼ならその人は親切ではない。
・何事に関しても、深刻に考えすぎる人がいるものだ。
マーク・M・フォード
Presented by インベストメントカレッジ