ケント・ギルバート:鎖国・非植民地・教育。日本の凄さここにあり
ロイス:
その間、ずっと弁護士もなさっていたんですよね?
テレビの仕事もしながら、弁護士もしていた...と。
全く新しい仕事で、ストレスは感じませんでしたか?
ケント:
はい。法律事務所フレックスタイムだったので朝早くから行って
仕事終わってからテレビの仕事をして少し残業。
事務所では夜もやればノルマは達成はできました。
しかしイメージが良くないと思ったみたいですね。
一般の人は「芸能人すげえ」とか思うんのでしょうが
真面目な職業の人たちから見れば、遊び人。
日本では弁護士のイメージってそんなに良くないのです。
職業はと聞かれて
「医者です」と答えると、「あ、偉いわね」
「弁護士です」と答えると「あ、金持ちだわね」
と言われるのです。
そして、芸能人は更にその下なのです。
事務所のコマーシャルを1つでも作ると
契約金だけで法律事務所の年収を上回る金額をもらっていました。
それも面白くなかったのでしょうね。
4年経った時点で、選べと言われたのです。
「法律をやるなら法律。テレビをやるんだったらテレビで
この事務所を辞めなさい」
その日妻とも相談しました。
実はそこにフランス人の弁護士もいたのです。
彼は夜になってみんなが帰ったあとで私にこっそり言ってきたのです。
「私の親戚が同じような状況だった時に法律事務所を辞めました。
でもその後もすごく充実した生活をしています。
もし私があなただったら弁護士を辞めますよ」
現実問題として、コマーシャル契約を途中で解約すると
すごい違約金が発生します。
それを払えるわけはないですから。
翌日一番偉いスズキ先生に
「じゃあ私、辞めます」と伝えました。
「え、辞めるの?法科大学院に行って司法試験受けて
これだけ頑張って世界一大きい法律事務所に入ったのにあっさりと辞めるの?」
「うん。先生が辞めろって言ってるでしょ」と言ったら、
「いやいや、辞めてもらったら困るんだよ。私たちはどうするんだよ」
「でも辞めろって言ってるんだから辞めます」と言うと
「それじゃ困るんだ。正式には辞めても良いけれども、嘱託で残ってくれよ」と。
だから2年間、空いてる時間にそこで法律業務を続けました。
その間、自分がやってる仕事を他の人に回したりして。
そこで最後に嬉しいことがありました。
私が最終的に辞めてしまった時、事務所は私の給料1人分で2人を雇ったのです。
私はそれまで2人分の仕事をしていたわけです。
辞めたことは残念ですが、それでも人生の貴重な体験でした。
それまでの私の目標は国際弁護士でしたが、それはすでに達成していました。
でも一生を通してそれをやる必要はないですよね。
私は計画性がない人間かもしれませんが
チャンスが回ってきたらそれを掴むべきかどうかを考えるのです。
最初に宣教師になったのは自分の意思ではありません。
結果的に良かったけれど、就職先も私が本当は就職したいところではありませんでした。
テレビっていうのも偶然回ってきた話です。
漠然とした私の生き方というのは、確かに1つの目標に向かって頑張るのだけれど
チャンスが現れたら、それを掴むこともある。断ることもある。
しかしオープンにしないと駄目だと思うのです。
私はこう思います。
小さなチャンスは毎日回ってくるけれど
大きなチャンスっていうのは一生の間に2、3回しかない。
ですから、それが回ってきた時にチャンスとして捉えるのか。
この柔軟性を私は大事にしたいなと思ってます。
テレビではコメンテーターもやりました。
『サンデーモーニング』という今もやってる番組を10年間。
毎週その週のニュースのコメンテーターとして頑張りました。
すると講演会の話が回ってくるようになる。
最高で1年で279回地方講演をやったことがあります。
これは朝起きて羽田に行くのか、それとも東京駅に行くのか。
地元の目黒駅なんか使っていない(笑)。
どちらも回数券買ったりして。
ですから10年間で47都道府県を全部回ってしまいました。
とても楽しかったですね。
『サンデーモーニング』が終わったら知名度が少し落ちました。
そのような話が回ってこなくなったので、幾つかの事業を始めました。
駄目だったものもありましたけど、続いてるものもあります。
2年程前の話です。
うちのスタッフがインターネットを少し頑張ってみることになりました。
積極的にFacebookやブログをやり出したのです。
その間に朝日新聞に世紀の誤報が出てきました。
私はこれを許せませんでした。
というのは、あれによって日本の国益がどれだけ損なわれたのか。
これは信じられません。
それでも反省の色を示していない。
誤報を認めてるだけであって謝罪はしてない。
これは許せないということを書いたところ
想像以上に受けてしまいました。
このように政治的なコメンテーターとしてのコメントを求められてます。
ですから『サンデーモーニング』の裏番組に出ています。時々(笑)。
フジテレビの『新報道2001』に時々呼ばれたりして。
また、歴史問題を取り上げる「そこまで言って委員会」の準レギュラーでもあります。
昨年は本を5冊出しました。
一番売れたのは今、14刷に入ってます。
私は今までの経験に基づいて、これから日本はどうするんだということを
語るようになりました。
今、憲法改正をしたほうが良いと思っています。
1人でキャンペーンしてるのですけどね。
外人なのに、おまえたちの国の憲法変えろって言ってるのは
少し厚かましいのは分かります。
しかし、そうでもしないと日米関係がおかしくなっていきます。
私はその時期が来たと思っているから、その活動もしてまいります。
沖縄に行くとハーフですかと聞かれます。
それは、目が細いからだと思うのですよ。
法科大学院の時、刑法の先生が、我々の判例を発表します。
判例を発表するところを撮影してるのですよね。
午後、先生の部屋に行って一緒に見る時、先生は
「おまえの目が細い。あんなに細い目で、どこの陪審員がおまえを信用するのか。
目を大きくして話すようにしなさい」と。
しかし、CNNを見てください。
ここに皺をいっぱいつくって、目を大きくして話している。
アナウンサーは是非見てほしいと思います。
しかし、日本のこの部分がどうしてこうなっているんだと思うことがある。
分かったら納得するし、納得しない場合もある。
一応分かったつもりではいます。
でも自分の価値観を失いたくはありません。
私が日本人になっても仕方ないと思う。
日本人になろうとしても中途半端になってしまうでしょう。
私はあくまでもアメリカ人です。
日本には良いところも良くないところもある。
それを最初からおかしいとは言わないけれども
不思議だ、どうしてだって疑問に思う。
そして結局、自分の中で結論が出た時に
「日本のここが悪い」
「ここが良い」
という価値観になるのです。でもそれは自分の価値観。
先入観に基づいてできているのではなく、
きちんと日本を理解しようと努力をした上でその結論に達するもの。
ですから、それで良いと思います。それを大事にしたいですね。
私は日本人になりたくない、今も永住権はありません。定住者です。
定住者というのは曖昧です。永住権はご存知でしょう?
ずっと滞在するつもりの人たち。
定住者というのは「なかなか帰らないやつ」という意味なのです。
でも活動の範囲はすごく広い。
ほとんど何をやっても良いということになっている。
これは日本の移民法の面白いところなのですけど。
ロイス:
とても面白いですね。きっとケントさんは、
日本とアメリカの違いや、東洋と西洋の違いもご研究なさったでしょう。
今日の日本の方が聞いて、面白いなと思うような事は何だと思いますか?
ケント:
そのトピックについては本を何冊か書いたので、
具体的に何を挙げるかというと難しいですが...
例えば、日本は1600年代初頭に鎖国をしました。
海外との貿易を停止したんですね。
鎖国しなければ植民地化されていたでしょうから、良かったと思います。
アジアで植民地化されたことのない国は3カ国しかありません。
タイ、日本、トルコです。
他の国はどこかの時点で植民地化された歴史があるんです。
1854年頃に米国から黒船がやってきて、開国を迫りました。
そして1868年までに大政奉還がなされます。
でも、日本はそこで内戦がなかったのが良かった。
もし内戦になっていたら、それもまた植民地化されていたでしょう。
フランスやイギリスは内戦させて植民地化しようと考えていたでしょうから。
日本人は非常に賢く、当時のリーダーも素晴らしく、
内戦なくして歩み寄りながら、将軍が自ら大政奉還をしたわけです。
面白いのは、鎖国中、 日本人は高い教育を受けていたということです。
海外との貿易は停止したものの、長崎の出島だけは閉めずに
オランダ人を受け入れていました。
スペイン人やポルトガル人は イエズス会を持ち込んで、
キリスト教を理由に国を植民地化していきました。
でもオランダ人の興味の対象は、貿易だけだった。
そもそも植民地化しようとか宗教を広めようということではなかった。
あくまで貿易をしたかっただけなんです。
当時の日本政府は賢く、そのオランダ人達から必要な知識を吸収していたわけです。
また日本は平和だったので、国民を教育することもできたんですね。
内戦がなかったわけですから。
これはすごいアドバンテージだったと思いますよ。
開国した時に、教育がある人々がいて、情報も持っていたんです。
あとは実際にアメリカやヨーロッパに行って見て、どっちの方がいいか、
どっちの国の体制を日本に適用するか決めればよかっただけです。
結局、法律はフランス法・ドイツ法を取り入れ、
鉄道はイギリスから取り入れ、議会体制もアメリカの大統領方式ではなく
イギリスの首相方式を選んだんです。
だから、気に入ったものをあちこちから見つけて日本に持って帰ってきて
必要に応じてアレンジし、自分たちが使いやすいようにしたんです。
まさに「採用・適応・熟達」です。