マネジメント 2017/03/01

7つの致命的な罪

FROM:ケン・シェルトン
(リーダーシップに関する出版を主な事業と30年以上して行う、エグゼクティブ・エクセレンス社の創業者 兼 編集長)

by スティーブン・R・コヴィー

マハトマ・ガンジーはこう言った。
「私たちを滅ぼすものは7つある」

この7つの罪は、元来善いものであるにも関わらず、何かの要素が欠如したせいで「罪」となってしまったものである。また、それぞれの「致命的な罪」を解毒するのは社会的な価値観ではない。

解毒することができるのは、自然の原則と法則に基づく外部的な基準だ。
これを忘れないように。

1.仕事を伴わない富

これは、何もせずに何かを得ることを言う。あなたが働いたり付加価値を生み出さなくてもいいようにするために、市場、資産、人やモノを操作することである。

今日では、偽の約束に基づいた職業まで存在している。仕事をすることなく富を築く。税金を納めずに富を築く。財政における公正な負担をすることなしに、政府の政策から恩恵だけを受ける。リスクや責任を負うことなく、国民としての恩恵だけを全て享受する…など。

詐欺的とも言える謳い文句が溢れている。
「一瞬で金持ちになる」
「あなたは努力すらせずに…」

程度の差はあれ、このようなものは、あなたを自然の法則から逸脱させる。あなたの判断は悪影響を受けてしまう。あなたに歪んだ考えを植え付けてしまう。そして、自分自身に対してあたかも合理的な嘘をつきはじめる。自然の掟から遠ざかり、社会や政治の観点での「成功」のルールだけに従うようになってしまう。

2.良心が欠如した快楽

未熟、強欲、自己中心的、感覚的な人が常に問う質問は次のようなものだ。

「それをしたら、私に何の得があるの?」
「それをしたら、私は快楽を得られるの?」
「それをしたら、私の人生はラクになるの?」

最近では、多くの人が良心や責任感なしに、時に配偶者や子供を犠牲にしてでさえ、これらの快楽を欲しがっているように思える、しかし「自立」は人間のありかたとして最も成熟した形ではない。

「自立」は「相互依存」までの道のりのうちの道中にしかすぎないのだ。

ギブ&テイクを学ぶこと。無私に生きること。敏感になること。これが私たちに与えられた挑戦だ。これが欠けると快楽を追い求めるだけになり、社会的責任が消え去ってしまう。

良心の欠如した快楽の代償は高い。
時間、お金、評判、人間関係…全てに高い代償を払うことになるだろう。

良心の本質は、時空を超えた真実の集まりである。自然の法則が、あなたの内部に映されたものである。誠実さを持つことは、あなたのモラル良心と一致させることに繋がる。罪を告白し、それらを手放し、平和を経験するのだ。

3.人格の伴わない知識

知識を持っていないのは危険である。
しかし、知識があるのに原則の伴った人格を持っていないほうが、より危険だ。知識が高まっていく進化の過程において、それ相応の人格形成がなければ、ドラッグでハイになったティーネイジャーに馬力のあるスポーツカーを運転させるようなものだ。

しかし、学術的な分野では往々にして、そのようなことが起こっている。若い人々の人格形成にフォーカスしていないのだ。

中にはこう言って「人格教育」に反対する人もいる。

「それはあなたの価値観にすぎない」

しかし、共通した価値観を持つことだって出来るのだ。これは難しいことではない。例えば、親切、公平、尊厳、誠実さ等は誰もが持つ価値があるものだろう。だから、議論の余地のない価値観から始めてみよう。そして、それらを教育やトレーニングに注入していくべきだ。

4.倫理観の欠如した商い(ビジネス)

もし経済システムが倫理観の基盤なしに動くことを許してしまったら、社会はすぐにモラルの欠如したものになってしまうことだろう。経済・政治システムは究極的にはモラルという基盤の上に成り立っている。全ての商取引は、両当事者が公正にモラルを持って行う、という挑戦でもある。

ビジネスにおける公正さは、「資本主義」という自由な社会の基盤である。
行動規範や win-win の精神は、両者とも恩恵を受ける、という精神であり、関係者全てに対する公正さの精神でもある。

ロータリークラブのモットーの1つを紹介しよう。

「これは公正だろうか? ステークホルダーの利害に貢献しているだろうか?」

これは、企業の成功に関連のある全ての人の受託責任としてのモラルである。

5.人間性の欠如した科学

もし科学が技術やテクニックだけのものになったとしたら、それはすぐに人類に対する冒涜に成り下がるだろう。

もし、技術が奉仕しようとする理由において人間の高次の目的に対する理解がほとんどなかったとしたら、私たちは自ら生み出した「技術屋」 の犠牲者になるだろう。もし全ての科学者がしていることが、同じ問題に対して技術を放り込んでいるだけだとしたら、根本的には何も変わらない。

時に進化も起こるかもしれない。時に科学の「革命」を目にするかもしれない。しかし、人間性が欠如していては、真の意味での貴重な進歩はほとんど見られないだろう。私たちは不平等と不正義の中で永遠に生きることになる。

6.犠牲を伴わない信仰

たとえ教会に熱心に通ったとしても、犠牲無くしては、本当の福音には触れられない。

他人のニーズに対して貢献するには、犠牲が伴う。自分自身の高慢と偏見を脇に置く必要がある。謙虚さなくしては、ワンネスや統合は起こらない。高慢さや身勝手さは人間と神との繋がりを破壊し、男女の繋がりを破壊し、人間同士の繋がりを破壊し、あなたとあなた自身の繋がりをも破壊する。

7.原則が欠落した政治

倫理観を持った人間性のへのフォーカスは、社会的・経済的な市場で受け入れられるイメージの創造を紡ぎ出す。政治家が票を集めて当選するために、大金を使って表面的なイメージを作り出す。

それが進むと、政治システムは自然の法則や自明の真理とは離れて独自に動き始めてしまう。

健康的な社会への鍵は、社会の意思や価値観を正しい原則と一致させることである。もし社会的意思が病んでおり、原則とは離れた意思が政治の意思の骨格になってしまっていたら、社会は歪んだ価値観を持った病んだ組織の温床となるだろう。

「十戒」という映画で、モーゼは暴君にこう言った。「私たちは、あなたに統治されているのではない。 私たちは、神の法により統治されているのだ。」

つまりはこういうことだ。

「その人が原則を統括している人間でない限り、 私たちは、人に統治されることはない。」

最上の社会は、自然の法則と原則が統治している社会だ。それが憲法となる。権力者であっても、原則を前にしてはひざまずくのだ。

スティーブン・R・コヴィー
「7つの習慣」の著者

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