日本兵の「組織的人肉食」と「大量レイプ殺人」事件?④
面白いのは、今でもこの証言者が「自分の母がゆでられた」とかいう飯盒を「証拠品」として持っているということだ。
しかしここで再び「ちょっと待て」と言いたい。
兵士というのは、最後の最後まで飯盒だけは手放さないものである。にも関わらず、彼の母を殺して煮たこの日本軍兵士は、人間すら食わねばならない状況下でも、飯盒を手放したらしい。
そしてこの男性は、日本人でさえ並べられたら区別のつかない飯盒を見て、どれで母親がゆでられたのかをきっちり見分け、戦後半世紀もの間、それをニッパ小屋のどこかに大切に保管していたということになる。
ウエワクの約200人の集会ではロレンス・イフィンブイさん(70代・男性)が、
「日本兵にブタを持ってこなければ母親を殺すと脅されたので、ブタを工面して持ってくと、日本兵は母親をレイプし、殺しました。それも胸だけをカットして、ゆでて食べるという方法です。母は出血多量で死ぬまで、そこに放置されました」
と語った。
これも、本当にエグいという表現がぴったりな話だ。
共通するのは、いつも「母親」が被害者になっているということ。
60年近くも前の話だから、死人に口無しということなのだろうか、それとももっとほかに別のフロイト的な理由でもあったのだろうか、と勘ぐりたくもなる。
さらにおかしいのは、1997年の時点で70代であったこのロレンスという男は、53年前の話であるならば、まだ10代だったはずだ。
パプアニューギニアでは、ブタというのは、特に昔は「権力の象徴」であり、大変に貴重なものであった。
にもかかわらず、「極悪非道の日本兵」に脅されたこの10代の子供は、村人にとって極めて貴重なタンパク源である豚を、自分ひとりで何とか工面することができたらしい。
はっきりいって「あり得ない話」だ。
そういえば、かつての慰安婦問題でも「殺した女性の頭を釜で煮て食べさせられた」(鄭玉順)とか、「時々人肉スープを飲まされた」(朴永心)とかいう荒唐無稽な話が真面目に提起され、日本や海外のメディアが嬉々として飛びついたことがあったが、それを想起させるものだ。
こんな嘘くさい証言など、叩けばボロはいくらでも出てくる。
次などは完全に、一時期はやった「性奴隷」系の話である。
「日本兵の宿舎でセックスの相手をさせられました。兵隊の階級には関係なく、多くの人の相手をしました。約10人ぐらいの未婚女性がいましたが、疲れてできないと拒否して殺された者もいる。第一キャプテンの名はウエハラ、第二はワギモトでした。わたしは幸い宿舎から逃げ出せました。何カ月かわからないけど、長い間でした」
というのはウルゥプ村のカミ・ドマラさん。
この「性奴隷」系の話に対する反論は、2011年4月に高知新聞から出版された『祖父たちの戦争』を読むのが一番よいだろう。
この本は、高知県出身で、私が以前監修した『ココダの約束』という本の主人公でもある西村幸吉氏の人生を追ったものであるが、高知新聞の気鋭・社会派ジャーナリストである福田仁氏が、膨大な取材と現地調査を通じて丹念かつ丁寧に書き続けた記事をまとめた一級の秀作である。
発言者は、西村幸吉氏(歩兵第一四四連隊兵長。戦後、遺骨収容のために26年間ニューギニアのジャングルで暮らした方)と、堀江正夫氏(第一八軍の元参謀、少佐)であり、この方々の発言はすべて、私自身もドキュメンタリー番組制作の際の取材で、直接本人から聞いている。
<西村幸吉氏>
「あの話(『週刊朝日』の記事)にゃ、高知の戦友たちも随分怒ってましたよ。『何が女じゃ!何日か食わんとおって、そんなことできるか実際に試してみい』ってね。戦場では、食糧も武器も尽きたんです。食いもんの確保と、逃げ道を探すこと、この二つで頭ん中いっぱいですよ」
(『祖父たちの戦争』、191ページ)
「私、戦後はニューギニア各地を随分回りましたが、白人との混血はあちこちの村におります。彼らも、もう60代になっているわね。だけど日本人との混血児には一度も出会ったことがない。うわさすら聞いたことありません」
(同書、192ページ)
<堀江正夫氏>
「ああ、あの記事ね。誰が信用するかって。反論もばからしくってさ…」
(同書、193ページ)
この堀江正夫先生は、陸軍士官学校出身でニューギニアに上陸し、第一八軍司令官・安達二十三中将に付き添い、悲惨な戦いとなったアイタペ作戦にも参加、終戦後にはウェワク沖のムシュ島に抑留された方である。
終戦当時の日本兵の極限に近い飢餓地獄を、実際にご自身で体験されている方だ。
平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第三章 ニューギニアの日本兵 pp.159-162