歴史 2018/08/10

「二人の首相」を誕生させた2011年夏の政変③




オーストラリア国営ラジオに出演したナモロン氏は、オニール首相とソマレ首相という「二人の首相」という事態を引き起こした昨年8月2日の「首相交代劇」について、


「オニール首相擁立は、オーストラリアを始めとする欧米諸国による中国への抗議策に過ぎない。ニッケル鉱山などでパプアニューギニアに侵入してくる中国の動きを封じ、その中国に近づくソマレ首相を排除しようとするものだ。つまり、オニール首相の政権略奪は、欧米の支援を受けた議会内クーデターにほかならない」


と指摘したが、この見方は間違っていない。
一方、この「爆弾発言」に対して、公正を装うオーストラリア人の司会者は、多少あわてた感じで、


「あなたの言っていることは、ちょっと『陰謀論』のようにも聞こえますが」


と返した。
これは世界各国どこにおいても、視聴者のいる前で都合の悪い指摘をされた時に、メディアが相手を一瞬でやり込める「常套テクニック」だ。
マスコミによって「陰謀論」と指摘されたとたん、発言者の言葉の信頼性は一気に失われ、本人の人格を含めた評価にまで無意識に色が付けられてしまう。それが事実に基づいていようがいまいが関係はない。
一種の「キャラクター・アサシネーション(人格の暗殺)」である。この司会者は続けて、


「オーストラリア政府はそんな風には見ていない。ただ単に、誰が最もまともなリーダーであるかを見ていただけ。もっとも、私は政府の代弁者ではないが」


と発言をしたが、これもまた至極当然のことだろう。
パプアニューギニアの国家権力に関して、外国勢力、しかも旧宗主国のオーストラリア自身が関与しているなどと視聴者に思われてはまずいのだ。
しかし、ナモロン氏はそれに対して、


「オニール氏は『憲法違反状態』のまま首相になったのに、欧米諸国はそれに対して非難をしなかった。それに、オニール首相の最初の外遊は、ここオーストラリアのキャンベラであったが、ジュリア・ギラード首相はオニール首相を迎え入れたではないか。我々現地人はそう見ている」


という鋭いコメントを入れた。
事実、オーストラリアは、自らが推すオニール氏が「議会クーデター」を起こして政権を略奪することをかなり早い段階で見越しており、氏と水面下で話し合いをしていたのだろうと信じるに足りる根拠もある。


その一つの例が、近年、急増して社会問題化している、「オーストラリアへの移住を希望して世界中から押し寄せる難民」らを、パプアニューギニアのマヌス島に「強制隔離」するという案件である。
しかもこの施設には、少数のオーストラリア陸軍部隊が常駐して事実上の「対中国監視哨」の役割も果たすため、オーストラリアにとっては「一石二鳥」となる。


いつもなら何を決めるにも大層のんびりしているパプアニューギニア政府なのだが、ソマレ氏を追放したオニール政権は、早速オーストラリア政府とこの問題について非常にスピーディに話し合い、わずか「3週間」という極めて短期間で、この案件での合意に至っているのである。


ちなみに、オーストラリアは、将来のパプアニューギニアのリーダー候補として、この一介の「無職の若者」であるナモロン氏に注目しているようだ。そのことは、ラジオ司会者の、


「私は将来の首相と話をしているのかもしれませんね」


などという発言からも感じられる。
一方、このラジオ出演を含むオーストラリアでのメディア露出によって、これまで何年もポートモレスビーの街角で、「食っちゃ寝て、起きてはブログを書き、腹が減ったら檳榔の実を売って食べ物を買い……」という生活をしていたナモロン氏は、一躍「有名人」になった。
そして、誰が斡旋したのかは知らないが、今では欧米系の大手鉱山会社の系列団体に職を得るまでになっている。


もし、本当にオーストラリアが、辛口だが頭の切れるこのナモロン氏を「将来の首相候補」と見立て、これから何年も手塩にかけて育てて行こうとしているのではないか、という私の推測が正しいとするならば、それはなかなか懐の深い、優れた「人選」であると思う。


私たち日本人も、パプアニューギニアの現在と未来を知るために、このナモロン氏の存在を知っておくことは重要だろう。



平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第二章 謀略渦巻く「豪中戦争」  pp. 91-94


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