歴史 2018/10/30

日本兵の「組織的人肉食」と「大量レイプ殺人」事件?




1997年10月17日、「週刊朝日」が驚天動地の「スクープルポ」なるものを報じた。


この記事には、『母は、この飯ごうでゆでられて……』なとどいう強烈な文字が踊っており、「人肉食の被害者」や、「強姦の後に殺害」された人の被害者も詳細に書かれており、ある現地人の運動家が日本政府に補償を求めている、という内容であった。
記事にはこうある。


 すでに被害登録は約6万5000人にのぼるという。
 ちなみに現在のパプアの人口は390万人。
 登録者は約60人に一人になる(登録者はニューギニア島東部だけではなく
 ラバウルなど周辺の島々を合わせた数)。
 最も多いのは「武器や食料の運搬に駆り出された」約2万6000人だが、人
 肉食犠牲者1817人、胸を切断され死亡した女性19人、性器を蛮刀でえぐ
 られて殺された女性8人、強姦されて殺害された女性5164人。


本書では、いかにパプアニューギニアが「親日国」であるか、ということを強調してきたが、それでも普通の人が一度この記事を目にすれば、「こんな週刊誌に書かれているくらいだから、やっぱり日本軍は凄まじい暴虐をやっていたのだ。それなのにパプアニューギニアが親日だなんて、本当だろうか?」という疑問が湧いて当然なのである。
それがまともな感覚であろう。


そこで、以下に私の考えを記述するが、読者の皆様にも多少の「血なまぐさい話」や「エログロ話」にお付き合いいただかねばならない。
なぜならこの問題は、今後の日本が南太平洋問題に関わる上で、絶対的に避けては通れない重要なことだからである。


まず第一に、ニューギニア戦線で「人肉食」があったかといえば、それは間違いなく「あった」。
これは、誰も否定していない事実である。


元々、ニューギニアというところは、わずかな数の原住民がジャングルの奥地に小さな集落を築き、そこで原始生活に近い暮らししかしていなかった未開の土地であった。
彼らは組織的な農耕をするわけでもなく、自分たちが食べる分だけの農作物を細々と栽培していればよかったが、そこにある日突然、十数万の日本兵が進出したのである。


当初こそ、日本軍は日本から送られてきた食糧を食べていたが、敵の潜水艦作戦で輸送ルートが滞り始めた頃から、ニューブリテン島のラバウルなどでは今村均将軍の指揮のもと、自給自足生活が行われるようになった。


ラバウルは、「ラバウル航空隊」と呼ばれた海軍航空隊が大活躍したところであるが、火山灰が降り積もった極めて豊かな土壌を持つ地域であるため、あらゆる野菜がすくすくと育ち、稲作にも成功。
当時の日本軍将兵の多くが農村出身者であったことも幸いし、ラバウル10万の日本軍将兵は、戦中から戦後にかけて完全自活に成功している。
当時、ラバウルでできなかったのは、「歯磨き粉と子供だけ」と言われていたらしい。


実際ラバウルでは、開戦から約1ヵ月半後に日本陸軍の精鋭「南海支隊」が上陸して占領した時を除き、最後まで上陸戦闘すら発生することもなかった。
つまり敵基地や艦船を攻撃するための航空攻勢作戦か、または北上する連合軍航空隊に対する基地上空での迎撃作戦が主であったため、空襲の合間に兵士たちは農耕活動を行うことができたのである。
だから、ここにはそんな凄惨な話は残っていない。



平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第三章  ニューギニアの日本兵 pp.151-153


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