歴史 2018/05/29

フィジー問題で「外交的敗北」を喫したオーストラリア政府②




フィジーでは、この粗糖生産と輸出が国内雇用を長らく支え、また貴重な外貨獲得源として機能してきた。


粗糖はフィジーの輸出総額の20パーセント以上を占めているが、2007年に欧州連合(EU)との特得的輸入価格協定が廃止されて以降、価格は36パーセントも下落し、これに土地のリース問題や肥料価格の高騰などが追い打ちをかけた結果、製糖業自体が大打撃を受けていたのである。
オーストラリアはここに目をつけた。


2007年、EUはフィジー政府に対し、「公正なる選挙の実施を条件に、フィジーの製糖業に対し、3億500万ユーロの援助を拠出する」と申し出たのである。


いつもなら、これでフィジーは言うことを聞くはずであった。
しかし驚くべきことに、フィジー政府はこの申し出をあっさりと、かつ、きっぱりと拒絶したのであった。


それどころか、その後もフィジーのオーストラリアに対する強硬な態度に変化はなく、オーストラリアによる軍事介入の可能性を制するため、あえて強い警告を発したりもしている。


その結果、フィジーは2009年9月には英連邦の一員である資格を剥奪されたが、その直後の11月3日、バイニマラマ政権は、オーストラリアの高等弁務官や外交官らに対し、24時間以内に全員国外退去するように命じたのである。


もちろん、大きな産業のないフィジーにとって、最大の援助国かつ投資国でもあり、第二の貿易相手国でもあるオーストラリアから制裁を受けることは、経済的にも大きな痛手であった。


実際、フィジーの民間投資の対GDP比は大きく減少し、2000年から2005年には11・3パーセントあったものが、2011年には2パーセントにまで落ち込んでいる。


しかしそれでもフィジー政府は、オーストラリア重視の外交政策を見直し、代わりに全方位外交を行って他の諸外国との関係構築を積極的に行ったのである。
これにより、オーストラリアとフィジーの二国間関係は、かつてないような断絶状態に陥った。


オーストラリア政府は当初、「民主的な選挙を実施せよ」という葵の御紋を出し、圧力をかけさえすれば、仮にフィジーを孤独化させても国際社会はオーストラリアを支持するだろうし、バイニマラマ政権もまた、最後には自分たちの言うことを聞くであろう、と考えていた節がある。


オーストラリア政府による経済援助や政治的支援などで食いつないできたはずのフィジーが、まさかここまで強い態度に出るとは思ってもみなかったのだが、そんなオーストラリアに対し、フィジーはきっぱりと「ノー」と言い放ったのだった。


これによって、「南太平洋の宗主国」として君臨してきたオーストラリアの国際的地位が急に揺らぎ出すこととなった。
これまで盤石と思われていた南太平洋におけるオーストラリアの主導の管理能力に対して疑念が生じたのだ。
このあたりから、オーストラリアの対フィジー外交の歯車が狂い始めていく。


この影響は、これまでオーストラリアに対してつようことを言えなかった他の南太平洋諸国の間にも及んだ。
彼らはオーストラリアやニュージーランドのいないところでは、明確にフィジーへの支持を口にするようになり、また当初、オーストラリア政府の対フィジー政策を支持していた他地域の国々も、独自の外交を活性化させるフィジーを見直し、新たな関係を結ぶようになった。


つまり、フィジーに関しては、もはやオーストラリアを介さなくても良いとする、外交通商上の「中抜きビジネス」が始まったのである。
オーストラリアにしてみれば、相手を孤立させるつもりが、気がつけば自らが孤立化していた、ということになる。


このことは、オーストラリアにとって完全なる「外交的敗北」と言えるだろう。



平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第一章 いま、南太平洋で何が起こっているのか  pp.45 -47





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