歴史 2018/08/21

ソマレ派のクーデター未遂と「インドネシアの影」




こうしてオーストラリア軍の派遣論が盛り上がるなど、周辺国を巻き込んだ緊張状態が続いていたパプアニューギニアで、「ある事件」が起こった。


2012年1月26日未明、首都ポートモレスビーにおいて、自動小銃で武装した十数名の部隊が、突然、国防軍の駐屯地数カ所を急襲、国防軍司令官であるアグイ将軍の身柄を拘束したのである。


当初、正体不明であったこの部隊の首謀者は、夜明けと共に姿を現した。
この男の名はヤウラ・ササ退役陸軍大佐といい、自らはマイケル・ソマレ首相の命令を受けた新しい国防軍司令官であると主張、テレビを通じ、「憲法を遵守し、7日以内にソマレ首相を復帰させよ」との声明を発表したのである。


この日、事件が発生してから数時間後には、現地の仲間たちから私に連絡が入ってきたが、彼らから最初に首謀者の名前を聞いて、腰を抜かすほどにびっくりしてしまった。
なぜなら、反乱を起こしたササ大佐には、私は以前、個人的に会ったことがあったからだ。


もう何年も前、私が向こうである事業を始めようとした時、ササ大佐はその噂を聞いて近づいてきて、ラエのホテルで一緒に酒を飲んだことがあったのだ。彼は自らを元インドネシア駐在武官であるとし、周囲の取り巻きからは「大佐」と呼ばれていた。


「君の事業を手伝おう。私なら、政府中枢に食い込めるので、何でもできるだろう」と言われたのであったが、残念ながら、当時の私はササ大佐に対してあまり良い印象を持つことができなかった。



     クーデターを起こしたヤウラ・ササ大佐(左)と


取り巻きの連中は人相が悪く、昼間なのにすでに酔っぱらっていたし、だいたい、「俺は政府と太いパイプがある」という人間の99パーセントは「偽物」だと思っていたから、ビールを数本ごちそうした後に、「ご心配いただかなくても大丈夫です、大佐殿」とやって、お別れしたことがあった。


このササ大佐の反乱自体は大したことにはならなかった。
事件当時の映像を見ても、反乱軍の将兵らは、銃を地面に置いて日陰で休憩しているだけである。
緊張感と言うものがまったくないのだ。
いかにも南国らしい、実にのんびりとした「クーデター」だ。


とはいえ、オニール首相はこのクーデター未遂を厳しく非難し、また彼の「右腕」であり、自ら軍人でもあったベルデン・ナマ副首相は、「ソマレ氏とササ大佐は狂人である」とし、「午後4時までに投降せよ。さもなければ逮捕する」と、怒鳴るように通告した。


このナマ副首相の声のトーンは、さすがに元軍人らしく、大変にドスの効いた「恫喝」に近いものだった。
そしてササ大佐は、元部下であったはずのナマ副首相の恫喝に震え上がった。


結局、軍を掌握することもできなかった大佐は、やがて午後遅くには反乱軍部隊と共に投降し、その身柄を拘束され、このクーデター騒ぎは実にあっけなく終了した。
ただ一つだけ見ていて興味深いことがあった。
それは、反乱部隊が所持していた「武器」である。


通常、パプアニューギニア国防軍の所持している制式採用小銃は、アメリカ製のM16自動小銃であるが、この反乱部隊の将兵らは、フランス製「FA’MAS(ファマス)自動小銃」を装備していたのである。
こんな銃は、パプアニューギニア軍は本来なら所持しているはずがないのだが、その写真を見たとたん、私の頭の中に「インドネシア」という文字が踊った。


前述の通り、ササ大佐は元インドネシア駐在武官であったが、彼の秘書的な人物と別の機会に一緒に飲んだ時、その秘書は酔った勢いで、「俺は昔、ニューギニア航空のパイロットだった」と自慢げに語り、「インドネシアにもよく飛んだけれど、実は人には言えないような、いろいろなモノを運んでいたんだよ」と言って、ニヤリと笑ったことがあった。


この話を聞いて、「どうせ、武器や米ドルでも運んでいたんだろう。もしかしたら麻薬なんかもあったのかな」と思ったりしたが、反乱将兵の銃を見た瞬間、これらの記憶が一気に甦ったのであった。
この秘書は、おそらくインドネシアからこのフランス製の武器を運んでいたのだろう。


平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第二章 謀略渦巻く「豪中戦争」  pp. 99-102


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