歴史 2018/09/07

オーストラリアに「切られた」ナマ副首相②




なぜ、オニール首相はナマ副首相を解任しなかったのか。
オニール氏自身もいろいろと隠しごとを「握られて」いるからかもしれないが、もしかしたら、金権政治の塊のようだとも言われるナマ副首相の財布を利用する、という考えだったのかもしれない。


ただし、こんな絵を描いた人間がいたとしたら、それはおそらくオニール氏のバックにいたオーストラリアであろう。
「白人嫌い」のあまり、一気に中国に近付いていったソマレ氏をやっつけるには、豊富な裏金が必要であるが、オーストラリア自身がその工作資金を出すわけにはいかない。


一方で、自由に使えるカネを多く持っているのは、長年林業大臣をやって利権を食ってきたナマ氏だ。
ナマ氏は、金もあるが、権力欲も旺盛で、女も大好き、しかも酒癖が悪いときている。副首相の地位を約束すれば、喜んで飛びつくだろうが、叩けばいつでもたくさんのホコリが出る人物だ。
つまり、「とても使いやすい駒」なのである。


対立する者どうしを上手に戦わせて漁父の利を得るのは、欧米諸国の伝統的な統治テクニックだが、そうやってナマ氏から反ソマレ資金を充分に引っ張り、親豪政権を作ったオーストラリアは、もう「充分に汚れた」ナマ副首相を用済みだと考え、それでオーストラリアの新聞に「ナマ副首相のカジノご乱行情報」をわざと流したのかもしれない。


やがてナマ副首相は、そんなオニール首相の背後にある「意図」に気付き始めたのであろう。
選挙が近付くにつれて、自分が「キング」に擁立したはずのオニール首相に対し、明確に敵対する姿勢を取り始めた。


この頃のオーストラリア国営SBSニュースの報道を振り返ると、ナマ副首相の言動が急激に挑戦的になっていったことが判る。


「今回の選挙において、オニール首相の最大の敵は、『身内』になる可能性が大きい」と報じたSBSのインタビューに答えたナマ副首相の発言は、なかなか刺激的だった。


「私は、自分こそ、この国の王を擁立した『陰の立役者(キング・メーカー)』だと思っていた。彼(オニール首相)が、その立役者の言うことを聞くだろうと思っていたからだ。しかし、彼は私の言うことを聞かなかった。そうなると、この国を率いていく唯一の方法は、私自身が『王』になるしかない、ということだ」


これはつまり、「もう誰の言うことも聞かない。次は必ず俺が首相になってやる」という宣戦布告である。
しかしこの頃までに、ナマ副首相の人間的な評価はガタガタに崩れていた。
それを崩したのは、ソマレ派が流した可能性のある「マレーシアから輸送した裏金疑惑」であり、また、オーストラリアから流れてきた「カジノご乱行報道」であった。


敵対していたはずのソマレ派とオーストラリアによる「ナマ副首相追い落とし工作」が、タイミングよく一緒に功を奏したのは、今から考えると決して偶然ではないだろう。


当初、中国に傾斜したソマレ氏の動きを危ぶんだオーストラリアは、白人とのハーフであるオニール氏に「新たな時代の創造」を期待したが、オニール氏自身は、能力的にもその期待に、すぐには応えられなかった。


オニール首相は、とても温和な人物ではあるものの、そのためにどこか弱腰なところがあり、決断力に欠ける。
そこに付け込んだナマ副首相が、どんどんと発言力を増し始め、オニール首相はそれを制御することができなくなったのだ。


一方、オーストラリアからしたら、ナマ副首相のような「黒い」人物がパプアニューギニアの首相になることは、とてもではないが、容認できない。
元々、ナマ副首相の行動原理は「反欧米」であり、また、どこまでも「カネ」だからである。
こんな「反欧米主義」の元軍人である「ナマ首相」が誕生すれば、パプアニューギニア自体が強烈な「反豪国家」に転じる可能性さえあるのだ。


そんな最悪の状況を防ぎ、パプアニューギニアの政治を安定させるための手段は、まずはメディアを使ってナマ副首相の評価をガタ落ちにさせて、その人気を根絶やしにし、「建国の父」として根強い人気を持つマイケル・ソマレ氏の安定した政治手腕を利用しつつ、最後にはオーストラリアの言うことをなんでもよく聞くオニール首相を、政権トップの座に据え続けることである。


これは何がなんでもやらねばならない。
こう考えたオーストラリアはついに、来る総選挙に向けて実力行使に出た。
オーストラリア軍の派遣である。



平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第二章 謀略渦巻く「豪中戦争」  pp.111 -113



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