「二人の首相」を誕生させた2011年夏の政変②
この前代未聞の議会クーデターの際に注目されたのが、イギリス王室とパプアニューギニア最高裁判所の判断であった。
この国は英連邦の一員であるため、こんな時の英王室の判断を、多くの人が見守ったのは当然のことであった。
その英王室は、まずはオニール氏を正式な首相と認めた。
しかし同年12月、最高裁判所は、オニール氏の政権略奪のプロセスを「憲法違反」と判断、その正統性を完全否定したのである。
その結果、ソマレ氏は12月14日に首相の座への復帰を宣言したが、オニール氏は政権の明け渡しを拒否するなどして、政治的にかなり緊張する事態となった。
この政治闘争の背景には、「大国」どうしの大きな意志が働いていたと見て間違いはない。
前述の通り、ソマレ氏は大のオーストラリア白人嫌いであり、その一方では「大の親日派」であった。
氏はこれまで、日本を見習う形でパプアニューギニアを発展させようとしてきたし、日本からの投資や援助を最も歓迎したいという意向も持っていた。
しかし、オーストラリアの顔色をうかがってばかりの日本政府が積極的に反応しなかったせいもあり、ソマレ首相は日本への期待をあきらめ、急速に中国に近づいていったのである。
ここが、「ボタンの掛け違え」の始まりである。
気がつけば、パプアニューギニアに対する中国の大規模投資が急増し、今や多くの産業インフラが、中国政府からのソフトローンによって建設されることが決まるまでになっている。
これにオーストラリアは大きな危機意識を持った。
この背景については、パプアニューギニア人の側からも、いくつかの指摘が出ている。
そのうちの一人が、有名政治ブロガーで、パプアニューギニア大学の元医学生でもあったというマーティン・ナモロン氏だ。
マーティン・ナモロン氏
まだ28歳だが、なかなかに聡明で鋭い意見を言う人で、なによりも良い顔つきをしている。
元医学生であったナモロン氏は、2011年までポートモレスビーの街角で、ビートルナッツ(檳榔の実。石灰などをつけて噛むと化学反応を起こして口内が真っ赤になり、軽い覚醒作用がある。現地人はこれを好んで噛む)を販売しながら、インターネット上で政治ブログを書いていた人物だが、そのコメントはとても鋭く、興味深いものだ。
平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第二章 謀略渦巻く「豪中戦争」 pp.90 -91