休むことは罪?
From:リー・ミルティア
先日お話した悪魔は心配性に少し似ていますが、私は「とりとめのない憂慮」と呼んでいます。
例えば良心の呵責がそうです。実際、誰もが持っている感情です。時には私たちの思考を左右することもあります。ですから、良心の呵責のようなものといえます。例を挙げましょう。
お子さんがいる人は、仕事中もたびたびお子さんのことを考えるでしょう。子どもから突然電話がかかってきたら、ぞっとします。離れていることに罪悪感を覚えます。こんなに長時間仕事をしていて、いい親とは言えないと考えます。
その後、帰宅して家族と一緒に過ごします。すると今度は、やり終えずに残してきた仕事のことが気になり、罪悪感を覚えます。この話にとりとめのない憂慮の気持ちが働いているのがわかりますか? とても悪い癖なのです。
この話を聞いて、身に覚えのある人も多いと思います。 子どもではなく、ペットの場合もあるかもしれません。 両親の場合もあるでしょう。愛する人に満足に愛情を注いでいない自分自身のことを考える人もいるでしょう。
誰しも似たような体験があると思います。ですが、ひとたび良心の呵責を覚えると、心がとらわれてしまいます。小さな悪魔に生命力を吸い取られるようなものです。
どこにいても負けてしまいます。
あなたの創造力と前向きなエネルギーは、今その場で無駄になっているのです。親の例で考えてみましょう。あなたは良い親ではないという思いにとらわれているので、仕事に向けられるはずの前向きなエネルギーが無駄になってしまいます。家では残してきた仕事に心を奪われ、一家団欒の時間を楽しむことができません。
この悪魔は大きな存在です。いつも無力な気持ちがつきまといます。ストレスがたまって、怒りに達することも あります。
今この時を生きていない状況を作り出してしまいます。 そこで私が言いたいのは、過去は鍵をかけた扉の向こうにある、ということです。
どれほどやり直したいと思っても、過去を責めても何にもなりません。過去に遺恨や今日お話ししてきたようなことを残しても仕方ありません。
心が過去に立ち返ってしまった時には、過去は閉ざされた扉の向こうだとわかってほしいのです。
あなたは被害者になってしまっています。なぜなら、過去はもう変えられないからです。既に定まったものなのです。それが現実です。好むと好まざるとに関わらず、どうにもなりません。それが現実なのです。もう過去のことではありますが。
今この瞬間が力の見せ所です。今この時にパワーを発揮してください。精神的、肉体的、感情的、霊的、金銭的 なエネルギーを総動員する時は今なのです。
新たな未来に向かって再出発し、人生をやり直しましょう。自分に許しを与えてください。
「今日の残りの時間は素晴らしいものになる」
「今週の残りの日々を、今年の残りの日々を素晴らしいものにする」と。
過去に起きた事や起きなかった事に振り回されるのはもうやめましょう。