歴史 2017/09/27

戦歿者


民族の誇り


日本人は勇敢だった。蛮勇かもしれない時もあったが、絶えず信念を持っていた。信じきれるものを持っていた。それが日本国民の、世界的に有名な、強靱な精神力の源となっていた。

食糧も弾薬も尽き、手向かえば死ぬと解っていながらも闘った日本兵。

降参もせず、次から次へと玉砕する日本人。

「天皇制・軍国主義の犠牲」だけでは、説明のつかない民族の誇りのため、民族の存続のため、父母のため、夫や妻や子供のため、恋人のため、というイデオロギーを越えた一個人の「命の生きざま」も、これらの「死」に秘められているのではなかろうか。


非礼


帝国主義という欧米の組織化された強者生存の、「力は正義なり」という、生死を賭けた戦いに出遅れたアジアの国日本が、「富国強兵」に国運を託し、全アジアを植民地にしていた欧米の暴力に屈せず、「国造り」に励んでいたが、ついに1941(昭和16)年、国家安全のためにと信じ、大戦争に突入した。

その壮絶な戦いで、国のために死んでいった日本人を単なる「犠牲者」として片付けるのは無礼である。

非礼である。


平和洗脳教育


戦歿者たちを「犠牲者」として憐れむのは、戦後日本でアメリカの「平和洗脳教育」を受けた者たち、またアメリカの片棒を担いで「日本の平和のために」と言っている偽善者たちが持っている優越感以外のなにものでもない。

憐れむ前に、戦死していった人たちに、鎮魂の念と感謝の思いを持て。


関連記事