惨劇作りの名監督
犠牲
日本は、朝鮮戦争で一人の命も失わず、「特需」で奇跡的な復興を成し遂げたが、朝鮮国民とアメリカは犠牲を払った。
アメリカ兵、3万3651名、戦死。
北朝鮮と中国軍の死傷者、154万人。
南北の朝鮮人市民、戦火に巻き込まれ、200万人、戦死。
誰が北朝鮮を挑発し、この惨劇の脚本を書いたのか。
アチソン国務長官
「アチソン国務長官だ」と指差したアメリカ上院議員は沢山いた。
アチソンの1950年1月12日のワシントン記者クラブでの演説が、北朝鮮の侵略を招いたのだと非難した。
この演説でアチソンは、「アメリカの太平洋における国防の最前線はアリューシャン列島から日本、沖縄からフィリピンに走る線である」と発言した。朝鮮半島が入っていない。
アチソン国務長官は朝鮮半島を見捨て、見殺しにしたと責められた。
しかし、アチソンの言ったことは、マッカーサーが10カ月前の1949年3月1日、東京での記者会見で話したことと同じであった。その時は何の反対もなかった。
アチソンの分析
激怒している議員たちは、この事実を完全に無視し、アチソンの辞任を要求した。もし、辞任をしなければ、トルーマン大統領が彼を馘にすべきだと大騒ぎした。
アチソンは、「空騒ぎ」だと一蹴した。
北朝鮮攻撃に関し、より真実に近い理由として、アチソンは、1969(昭和44)年に書き、翌年のピューリッツァー賞を受けた回顧録の中で3点を挙げた。
(1)「韓国からアメリカ軍の大幅な引き上げ」
(2)「アメリカ議会において、韓国援助法案の否決(193対192の1票の差)」
(3)「日本との平和条約会議の推進」。
ケナンの見立て
国務省で、アチソンの下で働き、政策立案の長だった英才ジョージ・ケナンは、対日平和条約を巡るアメリカの動きが挑発したのだと考えた。
「朝鮮問題の起源は、日本における単独平和条約への我々の動きと密接な関係があると見て、私は間違いないと思う。それは、唯一の理由ではないが......」