歴史 2018/09/26

学歴主義の功罪


学歴大国

私は、日本の極端な学歴社会が、文化と経済の成長を妨げていると信じている。

永年、日本で1番と言われ、官僚養成所のようになっている京都と東京の有名国立大学は世界の大学ランキングで上位に入っていない。100番前後である。日本で1番2番の大学は、ソニー、トヨタ、ホンダ、任天堂のように世界で1番2番になるべきだ。

明るい話もある。日本の、自然科学の研究は、科学技術立国ニッポンの力を見せつけるが如く、世界で高く評価されている。アメリカの科学情報会社トムソンISIが2003年4月に発表した嬉しくなる「大学ランキング」によれば、東京大学が物理学で、東北大学が材料科学で、「世界で1番」である。

過去11年間に、世界中の各大学の研究論文が他の論文に引用された数を比較したものだ。引用された回数が多ければ優れた論文であるという評価である。東大は、自然科学の全分野を比べた順位でも、16位と上位に入っている(『産経新聞』2003年4月30日付)。この高い評価はノーベル賞への道なのだろうか。


大学ランキングの意味

大学ランキングは何の役にも立たないと思う人もおられよう。多様な使命を抱えている大学の「すべて」を客観的に数値化できないことは明白である。だが、多くの大学を同じ基準で比較してランク付けをすれば、大学の質を量る物差しにはなる。ランキング不要論者は、日本で有名な諸大学が世界の総合大学ランキングで上位に割り込んでいないので、怒りと失望と羨望で「役に立たない」とけなしているのか。

国の経済の格付けと同じで、日本が高く評価されている時は、政界も経済界も「そうだ、そうだ」と喜んでいたが、今のように発展途上国と同じランクに落とされると、怒り狂い、格付け機関を罵倒する。大学ランキングも高く評価されたいと思う人間の自然な願望を表示したものである。

米国は、雁字搦めの学歴社会ではない。もちろん、有名校を卒業すれば、最初は優遇されるかもしれないが、野心に燃えた者たち、失敗を失敗と思わない者たちが次々と現れてくるので、学歴の笠を着て威張っていると瞬く間に蹴り落とされる。アメリカ人は、「能力」や「才能」があれば大学に進学する必要もないと思っている。


シリコン・バレーの秀才たち

広大で豪華に美しいスタンフォード大学を中心に、円状に広がっていったエレクトロニクス関係会社の創立者のほぼ全員が大学中退者だ。例えば、私が使っている「マッキントッシュ」で有名なアップル・コンピューター会社の創立者スティーブ・ジョブズはリード大学中退。海外からの人材は優遇され、特にインド人の数学及び工学の秀才たちが数多く在住している。昼食時にはライス・カレーの美味しいにおいが立ちこめていると言われているほど、インド人が多い。



全米でインド人が120万人いる(日系は93万人)。事実、インドの天才たちが、シリコン・バレーの隠れたエンジンであると高く評価をされている。世界のシリコン・バレーで大切にされるのは、学歴でもなく、規則を作る官僚的な考えでもなく、既成概念を打ち壊す斬新な創造力である。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第5章 戦争と平成日本 –17


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