歴史
2017/10/27
仏越決戦
ディエン・ビエン・フウの戦い
ベトナムでは、フランス軍とベトミン・ゲリラが勝敗のつかない殺し合いを続けていたが、ついに大決戦になる。
ラオスの国境に近いベトナムの北西の谷間に、「ディエン・ビエン・フウ」というフランス陸軍の大きな砦町があり、25万人のフランス将兵が駐屯していた。
そこを4万人のベトミン・ゲリラ軍が包囲した。1954年3月上旬である。
56日間、日夜砲撃絶え間なしの死闘が続いた。勝者がベトナムをとる戦いだと分かっていたフランスは、すさまじい抵抗力を出し戦ったが、5月8日、将兵全滅を避けるため、降参した。「関ヶ原」で敗れたのだ。
インドシナ和平会議
フランスは降参する数日前から米国に依頼して、スイス・ジュネーブでインドシナ和平会議(1954年4月26日から7月21日まで)を開いてもらう。
フランスの下心は、「敗戦」を避け「休戦」に持ち込むことにあった。
当時の大国であった米国、英国、ソ連、中国(大陸)、フランスとインドシナ(ホー・チミン)の代表が出席した。
韓国と北朝鮮の代表も出席し、朝鮮戦争の終結をどう処理するかについて討議したが、喧嘩別れをし、50年後の現在も銃撃戦で激しい対立を続けている。
仏軍の敗北
この会議中、フランスがベトナムで完敗した。
その結果、フランスがインドシナから永久に立ち去り、ベトナムは緯度17度を境として一時的に南・北に割られ、北ベトナムはホー・チミンが大統領に就任することで決着した。
ホー・チミンは64歳。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−11