歴史 2017/10/30

世紀の悪代官


カトリック教会の介入

南ベトナムにはバオダイがまだ「皇帝」として存命していた。バオダイは自分が南ベトナムを統治することはできないと悟り、親友であった熱烈なカトリック教徒のゴー・ディン・ディエムというベトナム人を起用した。

いや、起用しろと米政府(国務長官ジョン・フォスター・ダレス)に命令されたのだ。

と言うのは、ローマ法王(ピウス12世)の最高顧問の1人であり、法王と非常に親しかった全米カトリック教会の長老スペルマンが、アイゼンハワー大統領及びダレスと深い親交を持っており、反共産主義者でカトリック教徒のディエムを強く推薦したのだ。

米ソ冷戦が激化していた時である。


ゴー・ディン・ディエム

第2次世界大戦中、ディエムは「バオダイ内閣」の内務大臣を務めたことがある。終戦直後(1945年8月)、ホー・チミンはバオダイを皇帝の座から引き下ろしたが、ディエムには北ベトナム政府に入らないかと誘った。

ディエムの「カトリック票」をあてにしたからだ。野望があったディエムは、拒否した。

ディエムは少年時からカトリック教に入門し、15歳で修道院に入り、神父になるため厳しい訓練をした。その後、放浪の旅に出て、フランスとベルギーに滞在する。

1950年、占領下の日本に立ち寄り、アメリカに渡った。アメリカでは3年間カトリック教会で生活をした。団結力の固いカトリック教徒たちのコネを通じて、ディエムは米社会の有力者に紹介された。

そこで将来大統領になるカトリック教徒の上院議員ジョン・F・ケネディと懇親の仲となる。

ゴー・ディン・ディエム


ベトナム版「下克上」

ある日、「神のお告げを聞いた」ディエムは、全米カトリック教の長老でありローマ法王の親友であるスペルマンに連絡を取り、「ベトナムをカトリック教に改宗する」と伝えた。

スペルマンは、ディエムをカトリック教徒の上院議員マイク・マンスフィールド(後の駐日大使)とケネディに紹介する。さらに、国務長官ダレスの実弟CIA長官のアレン・ダレスもディエムを高く評価した。

模範的なカトリック教徒のディエム(53歳)が米政府と全世界のカトリック教会の祝福を受け、また米政府の特命を携えて、南ベトナムへ送り込まれた。

このディエムが世紀の「悪代官」。

1954年、バオダイは、ディエムを南ベトナムの総理大臣にした。1年もしないうちにディエムは上司バオダイを追放し、自分を南ベトナム大統領に任命した。単純な下剋上である。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−12

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