歴史
2018/11/29
ニッポン亡国史のはじまり
歴史とは
二十一世紀の帝国アメリカで、戦後日本を振り返って見ると次の想いが湧いてきた。
歴史に例外はない。弱い国は攻められ、征服され、潰される。文化・文明の興亡は、戦いの光と影であり、国の台頭や滅亡も時のうねりに勝った国と負けた国の物語だ。
戦争が終わるたび、戦勝国が「真実の記録」を綴る。敗戦国は「正義に負けた」という劣等感を舐めさせられ、額に「罪人」の烙印を捺され、新しく書き換えられた歴史を丸暗記させられ、「二度と同じ過ちを繰り返しては」という熟語を頻繁に口にする。
反省しておりますと言えば、天から癒しの光が降ってくるかのように。
時代の宿命
日本国民は昭和二十(一九四五)年の真夏から、生存本能までも「軍国主義だ」と錯覚し、その錯乱状態を「平和的」と信じ、来る年来る年弱くなってゆく。
日本の平和症候群の熱病が引きおこした幻影が消え、時代のうねりが見えた時、日本は丸裸で震えているのだろう。
明治維新を誕生日とした日本帝国は、残忍な時代の中へ無防備で出ていった。日本は無知だったのか。勇敢だったのか。いや、日本に時代を選ぶことはできなかった。時の流れに溺れた徳川幕府は潰され、「時代」が明治維新に命を与えた。
弱肉強食の世界
鎖国から脱皮した明治日本が見た世界は、本能をむき出しにした貪欲な欧米諸国がキリスト教を文化基盤としていない国を野蛮と見下し、「文明化」を軍旗と掲げ、大量殺戮の武器を持って公然と略奪を繰り返していた弱肉強食の地獄絵であった。
「武力一人勝ち」の世界であり、弱い国は誰からも助けてもらえず、植民地にされ、歴史の化石として消えていった。
欧米の植民地にされなかった大陸や島々は、日本列島を除いて、ない。
西鋭夫著『日米魂力戦』
おわりに -1