サイゴン陥落
北ベトナムの進軍
ベトナムでは、勝利の気配なぞ全くなく、消耗と惨敗の匂いが巷に漂っていた。
(16)不安定な米国内事情を感知していた北ベトナムは、南へ総攻撃を開始した。南ベトナム軍は将棋倒しの如く総崩れになる。
(17)1975年4月21日、恐怖にかられた南ベトナム大統領ティウは、「辞職」を声明すると同時に南ベトナムを捨て、台湾へ逃亡した。私はワシントン大学で博士論文を書いている時にこのニュースを聞いた。「大将がまず先に逃げるとは......」と強い怒りを感じた。
あの怒りは、アメリカの悲劇を日常生活の中で体験した外国人の私が、心奥深く感じた行く先のない哀れみの想いであったのだろう。ティウは、2001年10月、ボストンで死去した。
サイゴンの惨劇
(18)南ベトナムの首都サイゴン(現ホー・チミン市)では大パニックが起こる。一般市民は、血に飢えた北ベトナム軍に皆殺しにされると恐れ、逃げ場を求め大混乱に陥る。
歩いている者は1人もいない。みんな走っているか、路上に呆然と座り込んでいる。
落城寸前、恐怖に駆られた群衆が暴徒と化してゆく光景は、全米のテレビ・ネットワークで日夜報道された。
脱出劇
サイゴンの飛行場で、米軍による緊急避難が行われているという噂が流れたため、ベトナム市民が堰を切ったように飛行場へ殺到した。
事実、物資運搬専用の巨大な軍用機による避難が狂気のような状態で行われていた。エンジンを切らずゴウゴウと唸りをたてている軍用機の尾翼の真下に大きく開いたワニの口のような入口に、米軍人の家族たちが吸い込まれるように入ってゆく。
子供たちが優先である。持っていた手荷物は片っ端から投げ捨てられ、1人でも多くの人を乗せようと、米海兵隊員や空軍将校たちも必死である。北ベトナムの砲弾が飛行場のあちらこちらでガンガンと炸裂し、黒煙が舞い上がっている。
軍用機は、入口がまだ閉まっていないまま滑走を始める。その後を必死で追いかけ飛び乗ろうとするベトナム人が数十人もいた。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−26