歴史 2019/02/11

カタチだけの自衛隊


防衛大学校の醜態

日本はこれだけ大きな経済国、技術国になっても、防衛に関しては、いまだに独り歩きができない。独立するのがそんなに怖いのか。

怖いのだろう。その一例かもしれないが、最近不愉快な話を聞いた。防衛大学校の卒業生の10%前後が、卒業と同時に民間企業に鞍替えするという。日本の国土防衛、国益防御のリーダーになる若者たちが、その責任を放棄し、金儲けのために入学当時の「契約」を反故にする。


難関の防衛大学校の入学試験に合格して入ってくる若者は、日本の将来のエリートたちである。国費で、国民の税金で、タダで優れた高等教育を受けさせてもらい、食事も衣服も住居もタダで提供してもらい、そしていざ国にお返しをする時になったら、道義的責任をためらうことなく捨て去る日本の将来のリーダーたちは、それが「個人の選択の自由」と考えているのだろう。これらの卒業生をなんの処罰もせずに民間企業に行かせる日本政府も情けないし、これらの者を雇う民間企業も同罪の不道徳である。

真の愛国心とは

アメリカの優秀な若者たちがいる陸軍・海軍・空軍士官学校の卒業生が国にお返しせず、民間企業に鞍替えしたという話など、私はアメリカに長く滞在していたが聞いたこともない。日本の防衛大学校の醜態は日本の将来の縮図、魂の抜けた日本を見るようで実に侘しい気持ちとなる。

「憂国」という言葉があるが、その意味など「受験準備校化」した日本の学校教育では教えていないのではないか。

国を思う心、国を愛する心は、右翼とか左翼とかといった次元の低い卑近なレッテルの下で論議する課題ではない。



西鋭夫著『富国弱民ニッポン』

第1章 富国日本の現状−11



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