歴史 2018/10/26

日本兵に対する様々なイメージ




これまで、私自身が制作に携わったドキュメンタリー番組を含め、いくつかの番組や研究調査などのため、かつてオーストラリア兵と戦った元日本兵を何十人も取材したが、彼らのオーストラリア兵に対する評価は一様に高く、「なかなか手強い相手」「いったん張り付いたら離れない」「敵ながらあっぱれな戦いぶり」とする声がほとんどであった。


ある兵士は、「豪州兵というのは、ジャングルの中で我々を執拗に追跡してきた。いったい、なんでそこまで執念を燃やすのか判らなかったが、とにかく恐ろしい相手だった」と言い、「オーストラリアは元々、直接には戦争と関係のない国であった。それなのに巻き込んでしまったのだから、それはそれで申し訳ないことだった」としている。


それに対し、アメリカ兵への評価は著しく低い。
物量に任せてやってくるが、こちらが撃つとすぐに逃げるのだという。
根性もないし、敵として尊敬できないという評価だ。
また、日本をあの戦争に追い込んだ張本人であるとして、ほとんどの元兵士が静かな怒りと不満を胸に隠していた。


一方、私が最後の最後まで判らなかったのは、勝ったはずのオーストラリア人元兵士の中の少なくない人が、いまだに激しい怒りを持って日本人を見ていたことだ。
約半数の人々が、日本に対する激しい怒りや不信感を口にしたのである。


確かに日本は第二次大戦中、オーストラリアとかなり激しく戦った経験がある。
このことを知らない日本人が意外に多いので、そのたびに驚かされるのであるが、日本はオーストラリア本土を攻撃した最初で最後の国家なのである。


日本軍はオーストラリアを200回以上爆撃し、シドニー湾に特殊潜航艇を侵入させて魚雷攻撃を行った。
また、ニューギニアやブーゲンビル、インドネシアやマレー、シンガポールでもオーストラリア軍と激しく干戈を交えている。
だから、今でもオーストラリア人の一部が、日本に対して複雑な感情を持っていることはよく判るのである。
しかし、それにしても、彼らの怒りは尋常なものではなかった。中には、


「今は孫の代になったから日本人も変わったと人は言うかもしれない。しかし、それは違う、やつらを信じちゃいけない」


という元兵士や、


「原爆をさらに100発落として、日本人を絶滅させてしまえ」


とまで言う人もいた。
こんなことを言われてしまえば、感情的に「ふざけるな!」となるのが人間というものだろう。
少なくとも、日本人であればこんな言い方は決してすまい、と思う。


しかし、そこで感情論をぶつけても相手と同じレベルに堕ちるだけだし、その程度の理解であきらめるなら、そもそも海外に出る必要すらなかったのだ、と思い直すようにもした。
そして代わりに、「なぜこの人はここまで日本人が憎いのだろうか」ということを考えようとした。


そうやって先ほどの様々な要因を考慮した上で到達した答えは、日本人を感情的に嫌う人たちのほとんどは「無知」に支配されており、同時に、いくらひいき目に見ても、その心に「人種偏見」の壁があるのは間違いないだろう、というものであった。


なぜなら、そのオーストラリア兵らは、欧州戦線で戦ったイタリアやドイツに対しては、日本に対するほどの激し怒りや憎しみを有してはいなかったからである。
その点で、あの戦争はやはり「人種戦争」の側面を持っていたのだ、ということがよく判る。


ただ、その一方で、素直に日本の戦いぶりを高く評価する人も、半分くらいの割合で存在した。


「次に戦争があれば、私は日本軍を味方にして戦いたい。彼らはとにかくタフで勇敢だし、頼りがいがあるからね」


このように言う人たちの多くは、大戦中に後方でのんびり勤務していた人々ではなく、最前線で日本兵と死闘を繰り広げた経験を有していた。
つまり、双方が力の限りを尽くして戦ったという点において、そこに初めて「人種」を超えた、互いを認め合おうとするものが生まれるのではないか、とさえ感じたものであった。


事実、ニューギニアのスタンレー作戦において死闘を戦い抜いたオーストラリア陸軍の第三九民兵大隊と日本陸軍の歩兵第一四四連隊(高知・朝倉)は、戦後それぞれに戦友会を作ったが、この二つの戦友会はその戦いから四半世紀後に東京で再開し、そこで過去の共通の経験を懐かしみ、互いの健闘をたたえ合っているのである。


つまり、いくらオーストラリア人の一部に今日でも「人種差別的な(レイシスト的な)」感情が残っていて、それに困惑することがあっても、それは相手がこちらのことをよく知らないからであり、そこでめげずに腹を割って話し合うことを厭わなければ、やがて双方は必ず判り合えるということだ。
私はこのことを、これまでの経験を通じて痛感している。


ただし注意しなければならないのは、日本人の側もまた、ダーウィンを含むオーストラリア本土に対する爆撃やニューギニアにおける戦いなど、オーストラリアと戦争をしたのだという歴史的事実をしっかりと知っておく、ということが大前提になる。
自分自身の無知を棚に上げ、またはそのことに気付きもせず、ただ相手のそれを非難するのは、恥ずべきことに違いないからだ。



平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第三章  ニューギニアの日本兵 pp.148-151


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