「テポドン」の仕掛人
テポドン発射
アジアで最も危険な国・北朝鮮に隣接する韓国の防衛費と、アジア制覇のため日本に駐在させている在日米軍の経費を、「何もしようとしない日本人」が出す。出し渋ると、アメリカは「北朝鮮が危ないぞ」と威しをかける。
勘ぐれば、いやなシナリオも浮上してくる。
「テポドン」を北朝鮮に撃たせた陰の仕掛人がいるのかもしれない。
1998年8月31日、正午過ぎ、突然、北朝鮮の長距離弾道ミサイル「テポドン」が日本へ向けて発射された。テポドンは、全長25メートル、直径1.3メートルで、射程(撃てる距離)は、2000キロメートル。
日本全土、どこに隠れても北朝鮮にねらい撃ちされる。テポドンに、「核爆弾」や「細菌・毒ガス爆弾」を取り付け得る。
米軍からの情報共有
あの猛暑の日、北朝鮮から発射されたテポドンは2段式で、1段めの燃料タンクは日本海側に落ち、弾頭は真夏の日本アルプスの上空を越え、太平洋の三陸沖に着弾した。
日本の海上自衛隊の偵察機が発見したのではない。日本の偵察衛星が探知・追跡したのではない。防衛庁の『日本の防衛』(平成11年版)に、米軍が北朝鮮のミサイルがただいま日本の上を飛んでいると教えてくれたと書いてある(324頁)。
他力本願の日本に偵察衛星なぞなかったし、必要もないと思っていたのだ。ここまで米軍頼りである。日本政府もやっと目が覚めたのか、日本独自の偵察衛星を開発することを決定した。5年後の2003年3月28日、偵察衛星が2基打ち上げられた。
婦女子暴行事件
あのテポドン発射は、沖縄で米兵3名が14歳の日本人少女を輪姦した事件で、日本中に激怒の渦が沸き上がっている最中であった。
日本政府は沖縄住民の怒りを鎮めることができず、彼らの怒りは米軍を「追い出してしまえ」の運動に広がっていった。その大混乱中のテポドンである。絶妙なタイミングの北朝鮮ミサイル発射で、日本国内も沖縄も、戦慄の冷水を浴びせられたかのようにシィーンと黙りこんでしまった。
「北朝鮮スクール」
このテポドン事件の4年前にも、北朝鮮からのミサイルによる脅しがあった。「ノドン」と名づけられた中距離核ミサイルである。日本は北朝鮮と「日朝会談」を開いて相手側の狂気をなだめようと努力をしていたら、米政府(民主党クリントン政権)が途中から割り込んできて「米朝会議」にしてしまい、北朝鮮に核兵器を開発しないと約束させ、日本にコメ50万トンと軽油燃料と現金1000億円を出させ、その業績を自分の、つまりアメリカのものにした。
日本は、北朝鮮のエネルギー開発のため、軽水炉原子力発電所(原爆の製造所)を建設してやることにまで同意させられた。クリントンの特使としてカーター元大統領が北朝鮮で活躍した後の「平和的な解決」(1994年10月21日)である。
日本の政治家でこれに「待った」をかける人はいなかったのか。近隣国からの恐喝に、勇気ある拒絶を見せる国会議員はいなかったのか。それとも、国会議事堂の中に国民の知らない「北朝鮮スクール」があり、北朝鮮の利益のためには日本国民を犠牲にしてまで便宜を図る者たちが住み着いているのだろうか。
アメリカも北朝鮮も、日本は脅しに弱いと熟知している。北朝鮮は日本からコメと援助金を脅し取ったと誇らしげである。だが、北朝鮮は、約束とか国際条約を守る国ではない。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第4章「国の意識」の違い –10