フィジー問題で「外交的敗北」を喫したオーストラリア政府
近年、南太平洋においてオーストラリアが最も頭を悩ませているものの一つが、フィジー問題である。
フィジーと言えば、多くの日本人にとっては青い海の広がる平和なリゾート地というイメージしかないが、イギリス植民地時代から負の遺産に苦しんできたこの国では、1987年以来、数度のクーデターが発生し、政治的には極めて不安定な状態にあった。
一方でフィジーは、最大の援助国であるオーストラリアの強い影響下にあり、オーストラリア政府もクーデターや混乱が起きるたびに、フィジー問題に積極的に介入してきたのである。
しかし2006年12月、フィジー軍事のフランク・バイニマラマ司令官が軍事クーデターを実行して、時の首相を追放して以来、すべてが変わった。
今日まで続いているこのバイニマラマ政権は、最初からオーストラリアの介入をことごとく拒絶したのである。
もちろんオーストラリアはバイニマラマ政権を強く批判し、「民主的な選挙権を実施せよ」と要求。
それが拒否されると、ニュージーランドなどと共同で、ただちに制裁を発動することを決定した。
とはいえ、オーストラリアはすでにフィジーと経済的にも深い相互関係を有しており、足元の経済界の反対もあったため、あまり強硬な経済制裁に踏みきれないというジレンマもあった。
その結果、この制裁自体はかつてアメリカがキューバに対して課したような厳しいものではなく、そのため「スマート制裁」と呼ばれた。
スマートという単語を諧謔的に使用したのかどうかは判らないが、とにかくこのオーストラリアの制裁はヘビー級ではなく、ライトかつスマートで、詰まるところ「中途半端」なものであった。
しかしフィジーの受けとめ方は違った。
バイニマラマ政権は、そんなオーストラリアによる相変わらずの「上から目線」に激しく反発した。
それに対してオーストラリアは、今度は国際社会と共同で、「ムチ」ではなく「アメ」をぶら下げる作戦に出た。
フィジーの最大の産業の一つであり、かつ最大の輸出品目である砂糖(粗糖)産業への支援をちらつかせたのである。
こういう時、西側の「欧米民主主義諸国」はよくまとまる。
特に、砂糖産業をターゲットにしたのも、キューバ制裁にそっくりだ。
平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第一章 いま、南太平洋で何が起こっているのか pp. 44-45