CIAからの誘い(1)
スパイ候補
CIAについては、個人的な話がある。時効になったと思うので、話す。「CIAに入れ」と誘われた。
シアトル、1976年6月、博士号取得から10日目。私は34歳だった。
私のアパートの電話が鳴った。相手は、CIA・サンフランシスコである。私と会いたいと言う。昼食を一緒にしようと誘われた。私も会って話を聞きたかった。私の名前と電話番号と学位取得を知っていたCIAは、ワシントン大学の教授に、将来CIAのスパイとして有望な留学生を探させていたのだろう。
CIA
1947年に設立されたCentral Intelligence Agency(CIA)は、米国の国益・国防のため世界中から情報を収集・分析し、大統領に報告をする世界一大きなスパイ機関である。30年ほど前には暗殺団も存在し、敵を抹殺していた。暗殺禁止令がホワイト・ハウスから出されるくらいだったので、本当の話であろう。
2001年9月11日から開始されたテロリスト撲滅のために、新しい暗殺軍団が設立された。CIAの前身は、第二次世界大戦で大活躍した米政府の実戦スパイ機構であったOSS(Office of Strategic Services)。OSSのスパイたちは、日本軍を攪乱させるため満州でも数々の爆破テロ作戦を実行した。
なぜ面会要請に応じたのか
私がCIAの面会要請に応じたのは、国家にとってスパイ機関は必要不可欠であり、CIAはアメリカが最強国であるために重要な役割を果たしていると信じていたので、CIAに強い興味を持っていたからだ。
また、マッカーサーの「日本占領」について博士論文を書くため、公開が始まったばかりの米国極秘文書を国立公文書館の暗い地下室で読んでいた。「大統領の目だけに」と注の付いたOSSの最高極秘の報告書も数多く読んでいた。例えば、OSSは「東條英機の自宅に石を投げている人たちがおります」と、戦争が終わりに近づいていたことを予告していた。
OSSの工作員たちが東京からさえも、戦時日本について明細な(今の言葉で「リアル・タイム」で)情報を大統領に伝えていたことは、戦後の平和学校で洗脳され、日本は「東洋のスイスならん」と夢見ていた私にとって、衝撃であった。もちろん、日本帝国の極秘はアメリカに筒抜け。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第4章「国の意識」の違い -32