「建国の父」マイケル・ソマレ首相②
1991年当時、外務大臣の職にあったソマレ氏は、この状況を「投票箱による専制政治(Tyranny of Ballot Box)」と呼び、独立そのものも、そしてその後の政治的な国家運営についても、すべて欧米の都合によって影響されざるを得ず、パプアニューギニアの部族社会における伝統的な統治システムや価値観が破壊されていくしかない状況を嘆いてみせた。
彼は、各人が一票を有し、多数決によって物事を決定していく民主主義は、「地球の裏側であるイギリスで『600年もかけて』作り上げた政治システム」であるとした上で、そんな近代的な政治システムを理解しないまま導入してしまったため、パプアニューギニア人らは、「身動きできないほどに縛られてしまった」と言ったのである。
この指摘は、パプアニューギニアのみならず、現在の南太平洋における様々な政治的諸問題を理解する上で、極めて重要である。
今日のパプアニューギニアが苦しんでいるとしたら、その姿とはつまり、長い歴史の中で独自のルールによって暮らしていた人々が、ある日突然、外からやって来た欧米人によって、彼らの政治システムの導入を強引に求められ、それがすぐにできないからといって、あちこちから「無能」だの「怠惰」だの言われている、それである。
つまりパプアニューギニア人は、かつて政治や貨幣経済、社会システムなど、総合的な文明レベルでも相当に発展していた日本でさえ、明治の開国以降に苦しみ抜いた「欧米近代主義」という名の大波に飲み込まれ、今でも上から下までアップアップしているのだ。
そう考えると、そんな自分たちの伝統的なルールしか知らなかった人々をまとめ、個人的にも大いに悩みつつ、それでも一応の「近代国家」としての独立に導いたマイケル・ソマレという人物が、いかに偉大であったかが判る。
「建国の父」ソマレ氏と著者
私自身、そんなソマレ首相には個人的にも良くしていただいたこともあって、特別な思いを持っている。
かつては、普通の人なら絶地に乗れない首相専用車の隣に乗せてもらって、市内を走りながらいろいろと政治の話をさせていただいたこともあった。
日本で、鳩山由起夫首相から菅直人首相に変わった時、私はセピック地方にいてそのことを知らなかったが、その翌日にソマレ首相の車に乗せられ、そこで、「君の国、また首相が変わったね」と言われ、「え? またですか?」と間の抜けた答えをして、「オイオイ、いいかげんにしてくれよ」と恥ずかしく思ったことを覚えている。
そうやって、自国の情けない政治体制を恥じるこの日本の若輩者に対し、いたずらっぽい笑みを送っていたソマレ首相であるが、眼鏡の奥からのぞくその目は静かに、かつ優しく包み込むようにこちらを見つめていた。
そんな慈愛に満ちた目で見つめられると、人はなかなか忘れられないものである。
やがて、首相と共にホテルのレストランに一緒に入った私が、「日本とパプアニューギニアはもっと政治的、経済的に手を取り合うべきです。日本人は、戦争中、パプアニューギニアの人々に大変にお世話になり、多くの命を救ってもらいました。そのことを、私は忘れずに伝えていきたいと思っています」と主張すると、ソマレ氏は一気に身を乗り出し、「君のような若者が日本にいることは、とても嬉しい」と言ってからニンマリと笑い、「マッカーサーなんてやつがニューギニアに来なかったら、君たち日本は、戦争に負けていなかったはずだ。返す返すも残念なことだとは思わんかね?」と、おっしゃったのであった。
それから私は、2時間もの間、首相と2人で熱い議論を交わさせていただいたのであるが、このことは今でも大切な思い出として残っている。
パプアニューギニアを独立に導いた「建国の父」マイケル・ソマレ氏とは、政治家としては極めて凄みのある人物であるが、実際にそばにいると極めて温かいお人柄であり、非常に人間的な魅力のある方である。
平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第一章 いま、南太平洋で何が起こっているのか pp.73 -76