歴史 2018/03/03

茶道とキリスト教


From:岡崎 匡史
研究室より

日本におけるキリスト教信者数は、人口の1パーセント。

神道や仏教が根強い日本で、キリスト教を布教することは並大抵のことではない。現代の日本では、宗教はうさん臭いというイメージすらある。

フランシスコ・ザビエル

日本とキリスト教の出会いは、ローマ・カトリックのイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル(1506〜1552)にさかのぼる。

宣教師は「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16・15)という聖書の教えを実践するために、福音宣教の使命を抱き、世界中に散らばり、山奥、熱帯雨林、劣悪な環境をものともせず、神の言葉を広める役割を果たした。ザビエルは布教を「わが心の喜び」とし、日本で2年半にわたって献身的な布教活動をした。

ザビエルが日本に到着したとき、日本は下剋上の戦国時代。天下布武を唱えた織田信長(1534〜1582)は、宣教師が献上したズボンをはきマントをひるがえしていた。信長は地球儀をもらい世界の実情を宣教師から聞き、彼らを重用し旧秩序を破壊するためにイエズス会の布教を容認。

アリストテレスと布教活動

信長の是認を得たものの、宣教師たちにとって日本にキリスト教を根付かせることは容易なことではなかった。興味深いことに、宣教師たちは古代ギリシアの哲学者アリストテレスの著作『魂について』(De Anima)を和訳し、布教活動に利用した。

1552(天文21)年1月のザビエルの書翰には、「日本人はアニマ(霊魂)の働きについてわれわれとはあまりにも異なった考えをもっている」と記されている。

日本人は、自然や動物にも心が宿っていると考える傾向がある。八百万の神を信じているのだ。宣教師たちは日本人の自然観を覆してキリスト教を浸透させるには、人間は特別な存在であり、絶対的な神の存在を知らしめたかった。

しかし、宣教師は日本語を完璧に操ることはできない。まして異なる宗教と文化をもつ日本人に、キリストの福音を宣べ伝えるのは困難を極めた。いかにして、キリスト教を布教すればよいのか。


茶の湯

卓越した宣教師たちは「茶道」を利用した布教活動を導入する。宣教師は茶室でミサを捧げたのだ。茶室であれば、清らかで掃除が行き届いており、密室の空間である。

日本人も、茶室に対して敬意を払っており、品位ある場所だ。宣教師の眼から見れば、茶の湯の所作は精神修行にも映る。

汚れのない茶室でミサを捧げれば、日本人がキリスト教を受け入れやすいと考えた。さらに、修道院を訪れる日本人に茶の湯の接客でもてなした。日本文化に馴染んだ形で、宣教が行われたのだ。

京都の南蛮寺の跡の発掘調査から、茶室があったと推測できる茶碗も出土している。「茶の湯」と「キリスト教」は無関係と思われがちだが、中世の日本で交流があった。


ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参照しました。
・ウィリアム・V・バンガード『イエズス会の歴史』(原書房、2004年)
・小林康夫、坂部恵、黒崎政男、中島隆博「『デ・アニマ』と東アジア」『水声通信』2007年、15号
・スムットニー祐美『茶の湯とイエズス会宣教師』(思文閣出版、2016年)

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