津田左右吉と戦後日本
From:岡崎 匡史
研究室より
日本古代史研究の第一人者である津田左右吉(つだ そうきち・1873〜1961)。
津田は、東宮御学問所御用掛として昭和天皇の教育にも携わった白鳥庫吉(1865〜1942)の愛弟子。
実証主義にもとづいた合理的な研究姿勢の立場から『古事記』や『日本書紀』を批判し、1924(大正13)年に『神代史の新しい研究』を発表した。
蓑田胸喜 vs 津田左右吉
しかし、右翼の論客である蓑田胸喜(みのだ きょうき・1894〜1946)が黙っていない。蓑田胸喜は、『原理日本』(昭和14年12月号)で「津田左右吉氏の大逆思想」と題して噛みついた。
津田の研究は天皇の存在を抹殺するものであるから「國史上全く類例なき思想的大逆行爲」であると激しく吠える。
蓑田らが結成した「原理日本社」は、天皇の存在する日本は「あるがままで素晴らしい国」であると信じている。マルクス主義・右翼・左翼に関係なく「天皇の存在する日本」を批判する思想を徹底的に攻撃した。
津田は1940(昭和15)年に、早稲田大学教授を退職に追い込まれる。
『日本上代史研究』『神代史の研究』『古事記及び日本書紀の研究』『日本上代の社会及び思想』が発禁処分となり、出版禁止法で起訴された。
津田左右吉と元号
戦前に弾圧された津田左右吉は、1950(昭和25)年に執筆した「元号の問題について」という論文を発表する。
彼は、戦後の知識人が「日本人を世界の劣等民族」であると考え、西欧を模倣することばかりに没頭したあげく、「昭和」を廃止して西暦を用いようとした態度を批判した。
津田は戦後天皇制のあり方に言及し、天皇は「統治權を奪われて象徵でしか無いようになられたとか、要するに天皇の地位が格下げせられた」と世間で言われていることは、「曲解か誤解か、或は故意に天皇を軽視」したものであると論陣を張った。
戦前は極右から攻撃され、戦後は進歩的知識人をたしなめる。津田のぶれない態度と研究業績は高く評価され、文化勲章を授与された。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・蓑田胸喜「津田左右吉氏の大逆思想」『蓑田胸喜全集 第四巻』(柏書房、2004年)
・片山杜秀『近代日本の右翼思想』(講談社、2007年)
・津田左右吉「元號の問題について」『中央公論』反省社、昭和25年7月号