歴史 2017/10/21

ペリー提督とマッカーサー元帥


From:岡崎 匡史
研究室より

江戸幕府を開国させたペリー提督。
敗戦国日本に乗り込んだマッカーサー元帥。
この二人、活躍した時代は違えど接点がある。

ミズーリ号

1945(昭和20)年9月2日、日本帝国は東京湾に停泊しているアメリカ戦艦ミズーリ号船上にて「降伏文書」に調印。ミズーリ号の側面には、31の星が配置されている星条旗が額に入れて飾られていた。

この星条旗は1854(嘉永7)年、日本に来航して日米和親条約を締結させたマシュー・C・ペリー提督のポーハタン号に掲げられていた国旗である。

ペリーは1853(嘉永6)年、ミラード・フィルモア大統領の国書を渡すために4隻の黒船(軍艦)を率いて浦賀に来航した。全戦艦の大砲を対岸に向けし、「アメリカ人にあっては、実にすべてのキリスト教国民の場合と同様、いずれの国民にせよ自国の海岸に漂着した場合これを親切に迎え、援助と保護を与えることは神聖な義務」だと、港開を江戸幕府に要求して日本国中をさせた。 

江戸幕府は圧倒的な武力の前にひれ伏し、幕府の威信は揺らぎ、200年以上も続いた「鎖国」が破られ、日本は「開国」した。

マッカーサーは調印式のために、わざわざアメリカ海軍アナポリスに保存されていた「ペリーの星条旗」を取り寄せて、日本の「第二の開国」を演出。

ホワイトハウスの星条旗

さらにミズーリ号艦上には、1941(昭和16)年12月7日(日本時間8日)、真珠湾攻撃時に米国大統領でアメリカ政治史上初めての四選を果たしたフランクリン・D・ルーズベルトのホワイトハウスに翻っていた星条旗も飾られていた。

ミズーリ号での調印を終えたマッカーサーは米国民向けの放送で、「今日、銃声は止み、悲惨な悲劇は終わった。我々は偉大な勝利を勝ち取った」という有名な格調高い言葉を述べ、「きょうの私たちは92年前の同胞、ペリー提督に似た姿で東京に立っている」と演説した。

戦後の世界体制について、マッカーサーは「問題は基本的には神学的なものであって、われわれがおさめてきた科学、芸術、文学のほとんど比類のない進歩、さらには過去2千年のあらゆる物質的、文化的進歩と並行して、精神の再復興と人類の性格改善が行わらなければならない。私たちが肉体を救おうと思うなら、まず精神からはじめなければならいのだ」と語った。

このとき、マッカーサーは65歳。軍人としての総仕上げとなるであろう仕事が日本占領であった。


ー岡崎 匡史

PS.以下の文献を参考にしました。
・マシュー・C・ペリー『ペリー日本遠征日記 新異国叢書第二輯第一巻』金井圓訳(雄松堂出版、1985年)
・ダグラス・マッカーサー『マッカーサー回想記』津島一夫訳(朝日新聞社、1964年) 
・ジョン・W・ダワー『敗北を抱きしめて』三浦陽一、高杉忠明訳(岩波書店、2001年) 
・Buruma, Ian. 2003. Inventing Japan, 1853-1964. New York: Modern Library.
・“Today the Guns are Silent,” in MacArthur, Douglas. 1965. A Solder Speaks: Public Papers and Speeches of General of the Army Douglas MacArthur. New York: Frederick A.Praeger.


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