ネルソン・マンデラ
From:岡崎 匡史
研究室より
波瀾万丈の人生を送ったネルソン・マンデラ(1918〜2013)。
彼の生涯を描いた映画『マンデラ 自由への長い道』(邦題:Mandela: Long Walk to Freedom)という映画をみました。ロックバンドU2が「Ordinary Love」という曲を主題歌として寄せております。
1993年にノーベル平和賞を受賞したことでも知られる南アフリカ共和国元大統領のマンデラ。彼は、自身の映画を観ることなく2013(平成25)年12月5日にこの世を去った。享年95歳。
自由への長い道
『マンデラ 自由への長い道』は、若き弁護士として頭角を現す日々から、アフリカ民族会議への参加、白人支配への抵抗、反アパルトヘイト運動と武装闘争、国家反逆罪による終身刑、27年間にわたる獄中生活、釈放から政治の表舞台への登場、民族融和の訴え、南アフリカ共和国大統領への選出、さらには公然の秘密である夫婦間の亀裂まで描写した重厚な作品である。
アパルトヘイト撤廃に至るまで数多くの暴力と混乱に南アフリカは見舞われた。権力にあぐらをかいていた白人が極度に恐れたことは、黒人や他人種が政治の中枢を占めることだ。
なぜなら、彼らが権力を握れば、虐げられていたものたちの恨みがブーメランのように白人に襲いかかってくることに戦慄したからだ。
理性と暴力
利害や損得が交錯している単純な暴力であれば、「理性」によって解決の道すじをつけやすい。無駄な争いを避けるために、暴力の行使に「一定のルール」を構築して、双方が共倒れになることを防ぐことができる。
ところが、国家や社会全体にかかわる「理念」や「イデオロギー」が絡まってくると、歯止めのない暴力へと発展しやすい。 報復は報復を呼び、暴力の連鎖を断ち切ることは困難を極め、最終的には人間の存在自体を危うきものとする。
1991年にアパルトヘイトが撤廃された後、南アフリカは「理性」を超えて「復讐心」の衣をまとい、「正義」という名の下で暴力が荒れ狂う恐れがあった。しかし、マンデラは、南アフリカを牛耳り人種差別をした体制側の人間を「赦し」た。長い獄中生活のなかで白人に対する復讐心は消え去ってしまったのだろうか。それとも、マンデラのキリスト教への信仰が深く作用していたのか。
真実和解委員会
映画の原作となったマンデラの自叙伝『マンデラ 自由への長い道』では、人種間の対立を融和するために設立された「真実和解委員会」について触れられていない。
「真実和解委員会」は、被害者を救済するというよりも加害者の犯罪や人権侵害を認定し、この「事実」と引き換えに加害者を赦し、人種間の融和を促すものだった。
逆説的なことだが、「寛容の精神」は殺戮に疲れ果てた後の「反省」によって生まれてくる。たとえば、「信教の自由」は西洋が経験した人類の流血の歴史から生まれてきたものだ。「信教の自由」や「寛容の精神」は、他者を「赦す」のではなく、互いに距離をとることで余計な摩擦を避けることに狙いがある。
もちろん、「真実和解委員会」は一定の効果を発揮した。大量虐殺に突き進む際限のない内戦が起きなかったことは、マンデラの政治力と強い意志、そして「寛容の精神」だろう。
ー岡崎 匡史