ナイル河をめぐる地政学
From:岡崎 匡史
研究室より
古代ギリシアの歴史家ヘロドトス(Herodotus・BC484-BC425)は、「エジプトはナイルの賜物」という有名な言葉を残こした。
エジプト文明の発祥をもたらした世界最長6650kmを誇るナイル河(The Nile)は、エジプト、スーダン、エリトリア、エチオピア、ウガンダ、ケニア、タンザニア、ルワンダ、ブルンジ、コンゴ民主共和国のアフリカ大陸10ヵ国を流れている。ナイル河流域で約2億5000万人もの人々が生活を営んでいる。
ナイル河は「青ナイル川」と「白ナイル川」から育まれる。
青ナイル川はエチオピアのタナ湖を源流とし、白ナイル川は中央アフリカ東部のヴィクトリア湖から発している。青ナイル川と白ナイル川はスーダンのハルツームで合流し、ナセル湖のアスワン・ハイ・ダムを経て、エジプトの首都カイロから巨大な三角州を形成して地中海に流れ込む。
大英帝国の遺産
アフリカ大陸の水の奪い合いには、欧米列強の植民地支配の歴史が深く根を下ろしている。「日の沈まない国」と呼ばれた大英帝国が、エジプトを支配していた。エジプトはオスマン帝国領であったが、オスマン帝国が瓦解した後、英国はエジプトを事実上保護国とした。エジプトだけに飽きたらず、英国はナイル河流域のスーダン、ケニア、ウガンダ、タンザニアも手中に収める。
青ナイル川の源流をもつエチオピアはイタリア、コンゴはベルギーの植民地として搾取されていた。アフリカを牛耳っていた宗主国同士の取り決めにより、事前に同意を得ない限り、ナイル河上流の属国が勝手に水利開発をすることが禁じられた。そのため、ナイル河の下流に位置するエジプトの影響力が強いのである。
ナイル河の流れと共に時を刻み、植民地主義も終焉に近づく。
民族自決
1922年、エジプトが英国から独立を勝ち取った時から、アフリカ大陸の覇権はエジプトへ移行する。1929年、エジプトは隣国のスーダン、英国領東アフリカ(英国東アフリカ会社の統治領域・現在のケニア、ウガンダ、ダンガニーカ、ザンジバル地域)と話し合い、スーダンが灌漑開発に着手することを認める。だが、スーダンの水開発は、エジプトのナイル水権利を侵害してはならないという条件をつけた。他の東アフリカ諸国の水権利については全く考慮せず。
だが、第二次世界大戦によって旧秩序が壊れる。民族自決と反植民地主義の昂揚により多くのアフリカ大陸の各国が独立を果たした。国家が増えれば増えるほど、問題も増えてゆく。
1960年、エジプト(アラブ連合共和国)のナセル大統領(Gamal Abdel Nasser・1918-1970)がソ連の支援を受け、エジプト南部に巨大ダム建設を着工する。10年後の1970年、堤高111m、全長3.6kmという巨大な「アスワン・ハイ・ダム」(Aswan High Dam:貯水量1620億m3)が完成する。貯水量は世界で3番目。
エジプトはこのダム建設にあたって、隣国のスーダンと協議をした上で建設に取り掛かったが、青ナイル川の源流国エチオピアを蚊帳の外に置いた。
エチオピアは拗ねる。アフリカ大陸北東部に位置するエチオピアは、その地形から「アフリカの角」と呼ばれる。「エチオピア」はギリシア語で「イティオプス(日に焼けた人々)」という意味だが、アフリカ大陸のなかでは最古のキリスト教国。エジプトとスーダンは、イスラム教国であり、宗教的にも相容れない。
地政学上優位に立つエチオピアは、「ナイルは自国が好きに使う」と脅し文句を使う。 エチオピアがナイル河上流で巨大ダムを建造すれば、エジプトのアスワン・ダムへの流入量が減少する。だが、エチオピアは、隣国のエリトリアと幾度となく武力紛争を起こしてきたので、大規模な水資源開発を実施する余裕がない。
下流国のエジプトとしては、上流国エチオピアの政情不安が続けばエジプトの国益につながる。エリトリアを煽動し、エチオピアを攻撃させているのはエジプトなのだろうか。水を求め、国家の理性が狂う一例かもしれない。
エジプトの悪夢は、エチオピアとスーダンが手を組むことである。
アフリカの未来
1990年、エジプトのブトロス・ブトロス・ガリ外相(Boutros Boutros-Ghali・1922-現在)は、「ナイルに依存するエジプトの安全保障はアフリカ諸国が握っている」「われわれの地域で次の戦争が起こるとすれば、それはナイルの水をめぐってである」と発言した。
アフリカ大陸に明るい兆しは見えるのか。
2025年までには、アフリカ各国の水不足はさらに悪化し、行き詰まる。アフリカ大陸の各国は、世界から見放された「孤児国家」としての運命を甘受せざるを得ないのだろうか。
人口爆発、貧困、エイズ、差別、内戦、独裁、殺戮、大虐殺と人類の全ての「悪」がアフリカに詰め込まれているような現状だ。人類は「パンドラの箱」を空けた。箱の中には「希望」さえもない。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
ヴァンダナ・シヴァ『ウォーター・ウォーズ』(緑風出版、2003年)
サンドラ・ポステル『水不足が世界を脅かす』(家の光協会、2000年)
高橋裕『地球の水が危ない』(岩波書店、2003年)
浜田『ウォーター・マネー 石油から水へ 世界覇権戦争』、132頁。
浦野起央『地政学と国際戦略』(三和書籍、2006年)
パラグ・カンナ『ネクスト・ルネサンス』(講談社、2011年)