スノーデン・ショック
From:岡崎 匡史
研究室より
我々は、監視社会に住んでいるのだろうか?
かつて、イギリスの作家ジョージ・オーウェルは『1984』という小説で、全体主義国家が社会を常に監視している未来像を描いた。
気がつかないうちに、我々はオーウェルの世界の住人になっているのかもしれない。
アカデミー賞のドキュメンタリー映画賞を受賞した『シチズンフォー:スノーデンの暴露』が日本でも話題になった。深刻な社会問題を映画化することで有名なオリバー・ストーン監督の『スノーデン』も2017年に公開された。
監視社会とスパイ
エドワード・スノーデンに関してはフーヴァーレポートで「監視社会とスパイ」(2016年9月号)と題してとりあげました。
スノーデンは、アメリカの諜報機関である中央情報局(CIA)及び国家安全保障局(NSA)の職員として勤務していた人物。それなのに、スノーデンはNSAの機密文書を暴露。
日本を含めた世界の大使館、さらにはドイツのメルケル首相の携帯電話まで盗聴していたことが明らかになった。
スノーデンはロシアに亡命しているが、現在ではアメリカに帰国を希望している。アメリカ政府にとって、スノーデンは、憎くて許せない存在。
監視された自由
北朝鮮は「監視社会」だというと、多くの人が納得する。
だが、民主主義を標榜する日本をはじめ、欧米諸国も実際は監視社会だ。インターネットを行き交う多くの情報は、通信傍受の対象である。
スノーデンの言葉を借りれば、「ネットで誰が何を検索したか、携帯で誰と話し、どこへ移動したか、すべてのデータが蓄積され、無差別の監視が可能」だという。
私たちのプライバシーは、ないに等しい。というよりも、FacebookやTwitterなどのSNSで、個人が自らの情報を公開しているのである。
隠すことや悪いことをしていなければ、監視社会を恐れる必要はないかもしれない。
しかし、知らない間に眼に見えない薄い膜が社会を覆い「監視された自由」のなかで暮らしている現実は恐ろしい。
ー岡崎 匡史
PS.
以下の文献を参考にしました。
デイヴィッド・ライアン『スノーデン・ショックー民主主義にひそむ監視の脅威』(岩波書店、2016年)