富とお金 2018/08/15

ゼロからバイオテクノロジーの億万長者になる秘訣




私は、普通だった人が良いアイディアを思い付き、それを努力と創意工夫、純粋さを持って素晴らしい商品やサービスに変え成功したという話を読むと刺激を受ける。下記の話はKYが教えてくれた「USAトゥデイ」誌からの抜粋だ。

マリー・アン・リーバートは1980年代、遺伝子工学の雑誌を作りたいと思っていた。友人やビジネス仲間は反対した。彼女は経験が浅く、業界のコネも少なく、ビジネスを半年続けるだけの資金もなかったからだ。

彼女は否定的な意見を無視し、全財産の180万円を投じて、マリー・アン・リーバート・インクという会社を設立した。

現在、彼女のビジネスは順調だ。100人の従業員を抱え、60種類以上の雑誌、本、ニュースレターを発行し、合計発行部数は25万部にもなる。主力の「ジェネティック・エンジニアリング」誌は、バイオテクノロジーの雑誌として世界で最も有名な雑誌だ。購読者は5万人で、世界中の科学者や研究者、アナリストがこの4色カラーの隔週雑誌を読んでいる。

彼女の知り合いによると、彼女には3つの強みがあるという。出版のトレンドを見つける能力、最高の編集者を雇うこと、そして彼女がとても粘り強いことだ。

「マリー・アンはトレンドや新しい分野を見つけることに非常に長けています」と、「ジェネティック・エンジニアリング」誌の編集者、ジョン・スターリングは言う。「彼女はいつも市場をチェックしていて、機が熟すと新しいことに飛び込んでいきます」

彼女はアイディアをトレンドに変える「最後の一滴」を注ぐタイプの人間なのだ。

リーバートは当初、エイズや遺伝子治療、クローンに特化した雑誌を出していた(1999年に発行され、羊のクローン、ドリーを作ったイアン・ウィルマットがクローン記事を編集していた)。翌年、彼女は4種類の別の雑誌を発行する計画を立てた。宇宙生物学、ベクター媒介病、西ナイルウイルスのような、蚊を媒体とする感染に特化した人獣共通感染症に関する雑誌だ。

同僚は彼女のことをとても粘り強いと言う。「特にバイオテクノロジー改革にはうるさいです」と、DNAや細胞生物学の編集を担当するデイビッド・ワイナーは言う。

「1983年当時、バイオテクノロジーはサイエンス・フィクションでした。何の商品もない会社が2、3社ありましたが、まだ夢物語の技術だったのです。しかし、彼女はもう産業が確立しているかのように話していましたね。プロクター・アンド・ギャンブルの話をするみたいにですよ」

彼女と一緒に働いた人は、彼女の粘り強さは活力や実証主義、独創性として発揮されていると話す。彼女は自分の性格を「頭の中にずっと回転し続けているシリンダーが12本あるみたい」と表している。

しかし、どれだけ粘り強くても、トレンドを見つける能力と編集の才能がなければ、出版ビジネスは成功しなかったはずだ。同僚が彼女の「優れている」点を挙げてくれた。

「彼女のテクニックは、やはり粘り強さでしょう。彼女が粘り強すぎて、ノーと言うよりイエスという方が簡単なのです」と、エイズと性感染症の患者ケアの編集を手がけるジェフリー・ローレンスは話す。

リーバート自身が粘り強さの例を挙げてくれた。

「私はトム・ホーンベイン医師(エベレスト登山に成功したことで有名)に仕事の依頼をするため、メールや電話でやりとりをしていました。私の提案は説得力があると思ったのですが、彼はなかなか仕事を引き受けてくれませんでした。そこで、私は彼の本をじっくり読み、こうメールで伝えたのです。『あなたの本は素晴らしかったです。あなたが山のウェスト・リッジを克服した粘り強さと決意に胸を打たれました。トム、あなたは私のウェスト・リッジなのです!』と。その後、彼は『負けたよ』」というメールを返してくれましたよ」

マーク・M・フォード

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