習慣 2016/10/05

42年間変わらないビジョン



ロイス・クルーガー(以下:ロイス)
お会いできて嬉しいです。
今日はあなたのことについて伺えますか。

リシャール・コラス:
きっとそんなに面白くないですよ。

ロイス:
いいえ、きっと面白いですよ。

私たちが初めて出会ったのはシンガポールでしたね。
何年も前のことです。
その時にビジネスマンとしてのあなたを知りました。
何年か後、人間としても、とても素晴らしい方だと思ったのです。


リシャール・コラス:
うわー、こんなふうに始められると困りますね。


ロイス:
いえ、あなたは特別ですよ。
ですから、今日はあなたのこれまでの人生について
話していただきたいと思っています。

ところで、あなたのアクセントは日本語でも英語でもありませんね。


リシャール・コラス:
その通りです。私はフランス人ですから。


ロイス:
フランスのどこで生まれたのですか。
生い立ちを教えてください。


リシャール・コラス:
私は南仏で生まれました。
生まれてすぐに英国に移ることになりました。
父がパイロットで、その頃は第2時世界大戦中だったのです。

そしてその後パリに移りました。
当時私は6〜7歳だったと思います。

次に父はモロッコに派遣されました。
まだ独立したてのモロッコです。
そこで航空機のパイロット
そして訓練士になるように言われました。

そこでの任期は2年の予定でしたが
家族がモロッコでの暮らしをとても気に入ったので
最終的に、私が高校を卒業するまで10年間モロッコにいて
父は10年間、エールフランスでパイロットをしていました。

私が初めて日本に来たのは17歳の時です。
旅行で来たのですが、一瞬でこの国に恋してしまいます。
「本当は彼女でも見つけたのでしょう」と言われますが
まぁ、それは後々の話です。

私は自分のしたいことがはっきりと分かっていませんでした。
ビジネスマン向きの性格ではないし
何かの訓練を受けたわけでもないし
父はパイロットだったわけで・・・
当然普通のビジネスをやったことがありませんでした。
A地点からB地点まで安全に飛行機を飛ばすのが父の仕事です。
だから父には、1日中オフィスに座っていることが
ビジネスの一つの形だということを理解できなかったと思います。

私は当時既に物書きでした。
若い頃にもいくつかの作品を書いていたので
将来はジャーナリストか外交官と考えていました。
実はフランスの伝統で、外交官が小説家というのは
とても一般的なのです。

話を戻します。
私は日本と恋に落ちた後、政治科学を学ぼうと思いました。
そして東洋言語も学ぶことにしたのです。
当時、行政の仕事で東洋言語を扱うものがあったので、
私は第1言語に日本語、第2言語は韓国語を選びました。

卒業後、私はフランス大使館で働き始めました。
しかし、やりたいことはこれではないと思ったのです。
そもそも私は外交官向きではありませんでした。

私は民間セクターに行き、そこで様々なことを学びました。
なにしろそれまでにビジネスマンとしての訓練など
一切受けていなかったものですから。
そして幸運にもフランスの高級品業界に入ることができました。

現在までにシャネルには32年間在籍していて
日本法人の社長を22年間務めています。

ロイス:
32年もの間、1つの会社にいるというのは
どのような感じなのでしょうか。


リシャール・コラス:
いやあ、それは大きな喜びですよ。
最初、日本での化粧品ビジネスを8年間担当したのです。
私が入社したのは1985年でした。
その時、外国の化粧品が日本で一躍ブームになったのです。
私は会社が今よりずっと小さな時に入社しましたが
8年以内にデパートに入るほどのビジネスまで成長しました。
現在はすでにナンバー1になりましたが、
当時はナンバー2のブランドにまで登りつめたのです。

その後上司に香港行きを勧められたので
2年間、香港の地域マネージャーを務めました。
中国に返還される直前でした。
イギリスである最後の年でしたからね。
本当に面白い時期でしたよ。

中国はまだ、私たちのようなビジネスに
オープンではありませんでした。
それでも何回か中国市場を見には行きました。
93〜95年だったのでもう昔の話ですね。
20年前です。


ロイス:
今とは全く違っていたのではないでしょうか。


リシャール・コラス:
はい、そうですね。面白かったです。
私たちはアジア市場の開発を任されていたので
台湾に行ったり、中国に行ったり
香港に行ったり、シンガポールに行ったり
ビジネスを展開していきました。
アジアはすごく面白かったですよ。

しかし、私のルーツであり心は日本に深く根付いていました。

それから2年経った時
私は日本市場で働きたいという希望を出しました。
それ以来、私はここ日本でたくさんの素晴らしい経験を
させてもらっています。
お陰さまで会社も好調です。


ロイス:
ビジネスの視点から見て、あなたがしてきたことの中で、
大きな違いをもたらしたことを教えてください。
例えば、高い生産性を実現したとか
会社を成長させたとか…
そのように大きく達成したことを1つ2つ教えてください。


リシャール・コラス:
私は今でも努力し続けていますよ。
成功したかどうかはよく分かりませんが・・・
私はマネージャーというよりも
リーダーになろうと考えています。
素晴らしいマネージャーは周りにたくさんいます。
だからリーダーになることが私の仕事の1つなのです。
正しい人材を会社に入れることができたら
毎日の仕事を信頼して任せることができるのです。

他には私に与えられた使命を全うすること。
そして、アイデアを出したり、情熱を注いだり
ビジョンを理解してもらうことです。

シャネルのビジョンは非常にシンプルです。
なぜならオーナーは一族だけですから。
株主も1社、ただ1人。
彼はシャネルに対して非常に明確なビジョンを持っています。
私と彼は42年間一緒に仕事をしていますが
彼は一度もビジョンを変えたことがありません。
ですからシャネルでは
人を動かすことに関してはそんなに難しくはないのです。

私の仕事は

・人に対して刺激を与えること。
・素晴らしい創業者である、ココ・シャネルに対する
私の持つリスペクトを共有すること。
・シャネルの素晴らしい商品を共有すること

なのです。

私にとっては情熱が非常に大切なのです。
どんなことであっても
どんな業界であっても情熱は重要です。
それを話せばみんな分かってくれると思います。


ロイス:
それはつまり、オーナーが求めるビジョンと
あなたが求めるビジョンが
日本で一致してるということですね。


リシャール・コラス:
そうです。
私は日本でビジネスを発展させていくという
ビジョンを持っていますが
ブランドに傷をつけることは絶対にできないのです。
バカなことでシャネルのような大ブランドを
傷つけるのは簡単なのです。


ロイス:
例えばどんなことですか。


リシャール・コラス:
例えば化粧品です。
「今年のノルマを達成しなくてはならないから」
というような理由で小売店に対して
プッシュし過ぎてしまうこと。
こうなると、他にどのような手段があるかが
分からなくなってしまう。
化粧品業界ではよくある話です。

しかしこれは私の求めるものではありません。
私はこの点においては過敏なほど注意してきました。
在庫レベルが高くなり過ぎないようしたり
プッシュしないことを戦略にしました。

プッシュ戦略よりも、顧客に私たちのことを理解してもらう。
私たちの製品を分かってもらう。
私たちのブランドのことを分かってもらう。
こういうことの方が大切なのです。


ロイス:
それを実行した結果はどうでしょうか。


リシャール・コラス:
先ほどお伝えしたように
デパートの化粧品でナンバー1になりました。
ファッションの分野でも大きな成長をしてきました。
そして、今も成長し続けています。
昨年、日本のシャネルは過去最高の売上を記録しました。

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