ベストを追求する
FROM:ケン・シェルトン
(リーダーシップに関する出版を主な事業と30年以上して行う、エグゼクティブ・エクセレンス社の創業者 兼 編集長)
By マイケル・ジョーダン
私はベストであることを目標にしている。しかし、何かに対してアプローチする時は、短期的な目標を設定し、ステップを踏んで前に進むようにしている。1つ目標を達成したら、努力すれば達成できそうな次の目標を設定する。これらの成功が、次の成功に繋がる。
私はいつも、自分がどこにいたいか、どのような人間・プレイヤーになりたいかを視覚化する。常に終わりを思い描いて始める。私は自分のたどり着きたい場所を明確に分かっており、そこにたどり着くためにフォーカスする。目標を達成したら、少し自分に自信がつく。これは全て頭の中で起こっている。私は書き出すことはしない。ただ、次のステップに集中するのだ。
私は誰かに何かを尋ねることを恐れない。何を恐れることがあろうか?私の姿勢はこうだ。
「手伝ってくれ。方向を示してくれ。」
このアプローチは何に対しても使える。医者になることが目標の人と、何も変わらない。全てのステップが、パズルの1ピースなのだ。全てが合わさり、1枚の絵になる。完成すれば、目標に到達だ。完成しなくても、自分を見捨ててはいけない。
私は失敗から生じる結果を考えない。結果について考えると、ネガティブなことに頭を使ってしまうからだ。どんな状況に飛び込むにしても、自分は成功するのだ、と考える。「失敗したらどうなるのか」とは考えない。
ネガティブな結果を考えるあまり、失敗への恐怖から固まってしまう人がいる。かっこ悪く見えたらどうしよう、とか、恥をかいたらどうしよう、と恐れているのだろうか。人生で何かを成し遂げようとするなら、アグレッシブでなければいけない。全力を尽くして実際にやってみるしかない。受け身でいて達成できることなど存在しないのだ。
恐怖が障壁になっている人もいるようだが、私にとっては、恐怖とはただの幻想だ。何かが道を阻んでいると思ったとしても、実際には道の上には何もない。存在するのは、あなたがベストを尽くせば成功できる、という機会だけだ。
私がベストを尽くしても充分ではなかったとしても、最低でも「怖くて挑戦できなかった」と言うことにはならないだろう。ただ、達成できなかっただけかもしれない。ただ、実力が足りなかっただけかもしれない。それは悪いことではない。恐れることでもない。失敗は常に、私が次により努力する力になってくれる。
私のアドバイスはこうだ。
「ポジティブに考えろ。失敗を燃料にしろ。」
時には、失敗があなたをより早く目的地へ運んでくれるかもしれない。世界の偉大なる発明は、それに先んじる何百もの失敗の後になされているのである。
恐怖は時に、集中の欠如から生まれる。自分は正しいことをしていると知っているなら、リラックスして行動すれば良し。結果のことは忘れよう。どちらにしても、コントロールできることなどないのだから。
仕事でプレゼンテーションをする時。必要なことを全て行ったら、それ以上はあなたのコントロールの範囲外だ。クライアントがあなたのプレゼンテーションを気に入るか、それとも気に入らないか。それはクライアントが決めること。だから、心配しないでよろしい。
私は失敗を受け入れることができる。誰もが皆、何かに失敗する。しかし、挑戦すらしないことは、受け入れられない。あなたが110%の努力をしたなら、勝ったかどうかは関係ない。全力を尽くせば結果はついてくるのだ。私は中途半端に何かをすることができない。もしそうしたら、中途半端な結果しか得られないからだ。だから私は、練習も試合と同じ気持ちで臨む。練習を怠けていたら、試合で最後にひと押しする力は発揮できない。
しかし、多くの人はそのように物事にアプローチしている。だから失敗するのだ。なれる限り最高の自分になりたいと言う。正しいような言葉を並べ、正しいような見た目で飾る。しかし、答えの代わりに言い訳を探しているのだ。
ビジネスでは、代償を払わない言い訳が数え切れないほど存在する。
「あのチャンスさえもらえたなら」
「上司にもう少し気に入ってもらえたら、達成できたのに」
どれもこれも言い訳でしかない。
私は、障害や邪魔が存在しないと言っているわけではない。何かを達成しようとする時には、必ず立ちはだかるものは出てくるだろう。しかし、障害があなたを止めるわけではない。壁にぶち当たっても、諦めるな。壁を登る方法、突き抜ける方法、迂回する方法を探せ。
計画に沿って進む必要がある。多くの人が、あなたを彼らのレベルにまで引きずり降ろそうとするだろう。そういう人々は、何も達成できないからだ。しかし、ショートカットで何かを達成できることは稀だ。ほとんどの成功は、真面目な努力によって導かれる。目標を設定し、その目標の達成に全力を傾けることで成功に近づけるのだ。
この社会は、プロセス全体に目を向けることなく、個々だけの成功を輝かしいものとして取り上げすぎる傾向がある。CEOがいくら素晴らしいアイディアを持っていたとしても、それを実現させる社員がいなかったらどうなるだろう?
現場で効果のあるピースが揃っていなかったら、偉大なアイディアは何の意味もなさない。世界最高のセールスマンがいたとしても、商品そのものを作る人がいなければ、買う人も存在しない。
経営者はコーチと同じように、会社のためになるような個々の才能を見つけ、育んでいく必要がある。これは無私のプロセスだ。私たちの社会では、スーパースターになることにではなく、役割を全うすることに真剣に取り組むのが時に困難なこともある。
全ての人の役割が合わさって物事が可能になっていることを時として無視したり、尊重するのを忘れてしまう傾向がある。才能があれば試合に勝てるかもしれない。しかし、チームワークと知性が優勝へと導くのだ。
私が達成したこと全ては、基本に従った結果だと言える。
基盤や原則があってこそ、物事はうまくいく。あなたがやっていることが何であったとしても、ベストになりたいのなら、基礎を飛ばしてはいけない。中には基礎を嫌う人もいる。即座に結果を得たいがゆえに、ステップを飛ばしてしまう。大作を作曲しようとするあまり、一小節を疎かにする。
最初のころはそれでもいいかもしれないが、いつかツケがまわってくる。正しい技術であろうと、仕事の倫理であろうと、知識であろうと、基礎を疎かにした瞬間、試合も、学校の成績も、仕事も、底が抜けてしまうのだ。
基礎を理解すれば、全体像が見える。そうすれば、より賢く進むことが可能になる。簡単に聞こえるかもしれないが、簡単ではない。基礎には常に目を向けていなければいけない。なぜなら、変わる可能性があるのは、あなたの基礎に対する注意だけだからだ。
基礎自体は決して変わらない。物事には正しいやり方と間違ったやり方がある。基礎を固めれば、あなたのやることのレベルは上がるだろう。
模範となってリードせよ。
私は常に、模範となることで人をリードするよう努めてきた。話すことで人のやる気を出そうとしたことはない。言葉は決して行動ほどのパワーを持たないからだ。百聞は一見にしかず。だから、努力と自制の絵を描こうと努めている。そうしない理由があるだろうか?リーダーが努力していなかったら、部下は努力するだろうか?
リーダーは、リーダーという肩書を獲得するべきだ。つまり、あなたがリーダーなのは、あなたがチーム最高のプレイヤーだからではない。クラスで一番頭がいいからではない。一番人気があるからではない。誰もその肩書をあなたに与えることもできない。
あなたは行動によって、周りの人の尊敬を勝ち得る必要がある。バスケットボールの練習でも、セールスの会議でも、家族との関係においても、つねに一貫した姿勢が必要だ。周りの人が、次に何が起こるか予測できなければいけない。
あなたが必ずそこにいて、いかなる困難な時であっても、あなたのパフォーマンスは毎試合毎試合一貫している、と自信を持って感じられなければいけないのだ。
結局のところ、コーチもプレイヤーも言いたいことは何でも言える。しかし、そこにパフォーマンスや努力が伴っていなければ、言葉は何の意味もなさなくなる。リーダーは決して言い訳をしてはいけない。すること全てが、質高くある必要がある。試合以外でも、試合中でも、教室でも、練習場でも、会議室の中でも、仕事以外の場所であっても、だ。
あなたのスキルや才能を、あなたがいる環境全てで使う必要がある。もしチームのためになるのであれば、あなたの個人的な目標を犠牲にするべき時もあるだろう。リーダーは過去に成功の経験をしており、今度はチーム全員とその道を歩む覚悟がある人のことを言う。
その道中で、自分の信じることを貫いていこう。全ての家庭、ビジネスにはリーダーが必要なのだ。