歴史 2018/08/31

最高裁判事を「襲撃」




2012年5月25日から2日間、日本政府は太平洋諸国の首脳を沖縄県名護市に招き、「第六回太平洋・島サミット」を開催した。


外務省の公式ホームページによると、「日本と太平洋島嶼国の絆を強化するために、1997年から三年に一度開催されている」という、日本の太平洋外交にとっては最も大切な首脳会議である。
ここは、日本政府がおそらく唯一、太平洋に対する具体的な戦略、特に太平洋における対中戦略を公に語り、実施できる機会である。


2006年のサミットで太平洋諸国に対して向こう3年間で450億円規模の支援を約束し、2009年のそれは500億円規模という「前回を上回る力強い支援策」を行ったと自画自賛した日本政府であるが、2012年のサミットでは、震災後の厳しい財政を反映してか、それともついに円高の利点を主張することにしたのか、今回ばかりは「円建て」ではなく「ドル建て」とし、太平洋諸国に対して「5億ドル」の支援を行う旨を表明した。


ただ、当時のレートでは「約390億円」だったが、アベノミクス効果による円安のおかげで、今や500億円以上となっている。
素人は為替に手を出さないほうがいいという「よい見本」だと言えば、言い過ぎだろうか。


この会議に際し、日本はパプアニューギニアの代表として、議会クーデターで政権を略奪したピーター・オニール首相を招待していたが、訪日に乗り気だったオニール首相自身が、直前になって訪日そのものを「ドタキャン」するという事態が起こった。


実は、オニール首相が日本に向けて出発しようとした矢先の5月21日、パプアニューギニアの最高裁において「二人の首相」に関する判決が出され、5人のうちの3人の判事が、「ソマレ首相こそ正統な首相である。首相はただちに政務に復帰すべし」という司法判断を下したからである(残り2人は判断を保留した)。


これでは日本に来られるわけもない。
へたをすれば、笑顔を一生懸命に振りまくミスター・ノダと沖縄で一緒にジャパニーズ寿司なんか頬張っている間に、せっかく奪取した首相の座を失ってしまう可能性が出てきたからである。


一方で、この司法判断で元気を取り戻したのはソマレ首相だ。
何しろ、判事だけではなく、イギリス総督(パプアニューギニア人)であさえそれを追認した、という話も聞こえてきたからである。


この一連の動きに対し、オニール首相は激しく反発した。
まず、イギリス総督に対してかなりの圧力がかかったらしく、あわてた総督は、「自分はソマレ氏を首相と認めたわけではない」と発言した。
そしてその次に登場したのが、オニール首相の右腕である、「豪腕」ベルデン・ナマ副首相である。


副首相は早速、今回「ソマレ政権合憲」とした3人の最高裁判事に対し、「24時間以内に判事の職を辞任しない場合は全員逮捕する」という前代未聞の警告を発した。
もちろん、彼らにそんな権限があるのかどうかなんてことは、この際どうでもよい。


そして5月26日、「24時間の猶予は与えたが、もはや時間は過ぎ去った。それだけだ」と吠えたナマ副首相は、警察官と陸軍兵士を率いて突然最高裁判所を急襲、例の3人の判事の一人であるサラモ・インジャ最高裁判事の逮捕を試みた。
まさに日本では野田首相が、他の太平洋諸国首脳らと『沖縄キズナ宣言』を採択していた最中のことである。


びっくりしたのは、インジャ判事だ。
裁判所で別の事件を審理していた判事は、自分を追う兵士たちから逃れるため、別の部屋に逃げ込んで鍵をかけ、そこに立てこもった。


インジャ判事はこれまで、オニール政権によって2度も狙われた過去があり、外国メディアに対しても、「自分の身が危険だ」と訴えていた。
約2時間の交渉の後、判事は部屋から出てきて警察官の前に立ったが、すぐに「煽動罪」なるもので訴追され、即日保釈されるという手続きとなった。


一方のナマ副首相は、「ほかの2名もそのうちに逮捕してやる」などと、ますます意気軒昂となり、実際に、2人目の判事もすぐに警察によって訴追された。
この間、自身の政権の正当性を追求するため、オニール首相は「三度目」となる首相就任宣言を行ったが、こうして国内政治は「メチャクチャ」な状況に陥ったのである。



平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第二章 謀略渦巻く「豪中戦争」  pp.107-109


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