歴史 2018/10/05

多くの日本兵を救った精強「台湾高砂族」




話が少し逸れるようだが、ネパールに住んでいる「グルカ」と呼称されている山岳民族について少し話したい。


彼らは標高の高い山間部に住んでいるため、急峻な山岳地帯を自在に動き回り、過酷な自然の中で高い生存能力を兼ね備え、またその性質も勇猛果敢であるなど、戦う兵士として非常に高い資質を持っている。


19世紀以降、彼らグルカ族は、その能力を評価したイギリスの東インド会社によって傭兵として採用され、後に多くがイギリス軍の最前線部隊として採用されることとなった。
やがて彼らは世界中の戦場で活躍、第二次世界大戦では、インパール作戦等で日本軍を相当に苦しめた。
インパールで、飢えや病気以外で命を落とした日本兵の多くは、このグルカ兵と戦って戦死したものと考えられているようだ。


彼らは今でもイギリス軍に所属しており、フォークランド紛争やイラク、アフガニスタン戦争でも大活躍している。
最近もアフガニスタンで、十数名のタリバン兵らがイギリス軍の基地を奇襲した際、たった一人のグルカ兵がこれに立ち向かい、凄まじい戦闘を経て撃退、勲章を授与されたというニュースがあったし、インドでは2010年、40名の強盗集団が旅客列車を襲撃、乗客らに対する暴行略奪を働いたあげく、その中の18歳の女性を強姦しようとしたが、たまたま乗り合わせていた英グルカ旅団の元伍長が、グルカ族だけが持つ蛮刀「ククリナイフ」を抜いて賊に反撃、3名を殺害し、8名に重傷を負わせてこれを撃退した。


こんなグルカ兵に非常によく似た山岳民族が、台湾にいる。
それが台湾の「高砂族」である。
ニューギニア戦を語る上で、この「高砂族」を外して語ることは非常に難しい。


彼らは台湾の山岳地域に住んでいる「原住民」であり、グルカ族と同じように独特の蛮刀を腰に差して峻険な山岳地帯を自在に移動し、中国大陸からやって来た人々とは習俗も言葉も違う。


本当はいろいろな部族があって、名前も何も違うのであるが、戦前の日本では台湾の原住民すべてをまとめて「高砂族」と呼んでいた。
この「高砂」という呼称は決して差別語でも何でもなく、オーストラリア人がニュージーランド人を「キーウィー」と呼ぶような感覚だろう。


そんな高砂族は、一方で日本統治時代の教育をどんどんと吸収した結果、自らを「日本人」として認識するようになり、日本に対する信頼や忠誠心は、場合によっては日本兵以上のものがあった。
やがて大東亜戦争が始まると、多くの若者が日本軍に採用され、「高砂義勇隊」として過酷なニューギニアのジャングルに送られ、日本軍の物資を運ぶための「担送要員」として活躍し始めた。


高砂義勇隊員らは命令に対して極めて忠実であり、昭和17年に発動されたポートモレスビー攻略作戦では、南海支隊の指揮下にあって早速前線部隊への食糧輸送の任務に就いた。
支隊には、ほかに朝鮮人軍属も輸送任務に就いていたが、彼らに輸送を任せると、その途中で、運ぶべき食糧そのものに手をつけてしまい、前線には予定の半分も届かないということが常であったが、高砂族は違った。


ある時など、前線部隊に向けて食糧を輸送していた一人の高砂族の青年が、ジャングルの道ばたで「餓死」しているのが発見されたが、彼は背中に担いでいた大量の食糧にはいっさい手をつけていなかったのである。
このことは、「ここまで命令と任務に忠実たち得るのか」と、日本軍将兵らを感嘆せしめたのである。


グルカ兵と同様、彼らは長い間、台湾東部の険しい山岳地域に住んでいたため、身体は極めて頑強であり、原始的な生活を続けていたせいで粗食に耐えることもできた。
また、ジャングルにおけるその能力は飛び抜けており、夜目が効き、耳も鼻もよいため、米豪軍の兵士らが接近してくると、その音や臭いによって、夜間でも敵の動きを遠方から察知することができた。
また、鳥の鳴き声の微妙な変化によってさえ、敵の接近を感知したという。


彼らはまた、密林における隠密行動も極めて得意であり、連合軍陣地にも悠々と侵入してテントから食料品を奪い、または食べるものなど何もないと思われていたジャングルの中で上手に食糧を探し出し、飢え続けていた日本兵らに真っ先に食べさせたりもした。


例えば、豚などを捕まえれば、自分たちは内蔵を食べ、美味しい肉の部分を日本兵に渡したりするなど、彼らの忠実な精神に感動したという話は多い。
こんな彼らが後方で日本軍将兵を懸命に支援した結果、ニューギニアやブーゲンビルで戦い、生き残った兵士の多くが命を救われたのであるが、このことは、後世に必ず記憶されるべき事実だろう。


やがて、戦況が極度に悪化し、運ぶべき食糧がなくなったせいでボロきれのようになった日本軍将兵が追い詰められた時、見るに見かねた彼ら高砂族は、上官に対して初めて「靴を脱ぐ許可」を要請、いったん裸足となった瞬間から、彼らは「頼れる担送要員」から、信じられないほど強力な「戦闘員」に変身した。


「兵隊さん、銃を貸してください」と言って自ら武器を手に取った高砂兵らは、その後、連合軍に対して積極的に激しい攻撃をかけ、「負傷兵の看護輸送」「食糧調達」のみならず、「狙撃」「奇襲」「偵察」「待ち伏せ」「敵陣地後方への潜入および破壊活動」に至るまで、八面六臂の大活躍をした。



平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第三章  ニューギニアの日本兵 pp. 131-134



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