歴史 2018/05/18

南太平洋で「宗主国」として君臨していたオーストラリア




南太平洋の国々を訪れて感じるのは、現地におけるオーストラリアの影響力の強さである。


第二次世界大戦で日本を太平洋から駆逐した旧連合国は、1951年に『太平洋安全保障条約』を締結し、この海をアメリカとオーストラリア、およびニュージーランドで管理するという形を取ってきた。


A(オーストラリア)、NZ(ニュージーランド)、US(アメリカ)の頭文字を取り、これを『アンザス(ANZUS)体制』という。
その中でも特に南太平洋地域に関しては、オーストラリアが主体的に管理し、ニュージーランドがそれを支えるという体制が維持されてきた。


前述の通り、南太平洋諸国の不安定かつ「未熟」な政治体制は、オーストラリアにとっては常に頭の痛い問題であったが、最近までこの地域の管理について重要な役割を果たしてきたのが、オーストラリア国防軍(ADF)である。
彼らは小規模ながらも、南太平洋諸国における政治的混乱や紛争が発生した際には、ただちにその中枢に送り込まれ、実際に様々な問題を解決してきた。


その好例が、内戦状態に陥ったソロモン諸島に対し、オーストラリア政府主導の多国籍軍が実施した治安回復作戦である。
多くの日本兵が命を落としたガダルカナル島のある国といえば、イメージが湧く方も多いと思う。


1978年にイギリスから独立したこのソロモン諸島では、1998年にガダルカナル島にある首都ホニアラで発生した部族間対立が内戦に発展、独自での解決を困難と見たケマケザ首相(当時)が、2003年4月にオーストラリア政府に支援を要請する、という事態になった。


同年7月、オーストラリアとニュージーランドを中核とする太平洋諸島フォーラム(PIF)加盟国の警察と軍からなる約2200名の部隊がソロモン諸島に派遣され、現地で組織的な治安回復作戦を行った。
この部隊派遣は、『ソロモン地域支援ミッション(RAMSI)』と呼ばれている。


この部隊は展開後、ただちにゲリラから武器を押収するなどして、現地の治安回復に極めて高い成果を上げ、オーストラリア政府と国民に大きな自信を与えることとなった。


2006年12月31日、ジョン・ハワード豪首相(当時)は、「我々は、フィジー、東ティモール、ソロモン諸島、パプアニューギニアの治安回復に協力するという任務を負っている」という発言をしたが、それはまさにオーストラリアが有する自信の現れであっただろう。


オーストラリアの南太平洋の管理者、もっと言うならば、事実上の「宗主国」として振る舞い続けてきたのである。




平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第一章 いま、南太平洋で何が起こっているのか  pp.41 -42




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